SFプロトタイピングワークショップで導きだした未来の世界を題材とした、SF作家 藤井太洋氏の小説(全4回)をお届けしています。今回が最終回です。前回までのお話はこちら 第1回 第2回 第3回
建築惑星 第4回
藤井 太洋
インタビューを終えたカナメは、中央通りを歩いて工房へ向かった。
市庁舎から工房まではトラムに乗れば10分足らずでたどり着く。足首のバネを使って水平にジャンプするムーンウォークなら20分といったところだ。
だが、カナメは居住区を眺めながら歩いていくことにした。
投影格子で覆われた居住区の眺めは一変していた。
窓の高さが揃った地上階には、カフェやレストラン、食料品店や、衣料、工具などを売る商店が軒を連ね、市民たちが足繁く行き交っていた。
かつてこの通りには、大小様々の居住ユニットが雑然と並んでいた。歩道にコンロを突き出させたレストランの隣に、たっぷり2メートルは引っ込んだ戸口を持つ金物屋が隣り合い、歩道に誰かが置いた作業ベンチにはいつも誰かが向き合って工作を行っていた。
そのころは、一つとして同じ大きさの窓はなかった。3D積層した金属枠の窓もあったし、伝統的な障子枠を再現した窓もあったが、最も多かったのはセメントウッドの2×4材に溝を刻んでガラスをはめただけの工作だった。そんな窓と窓との間にある空隙が、上階の居住ユニットへの入り口だった。
わずか1年前のことなのに、あの時の雰囲気は記憶の中にしか存在しない。
店舗も店主も変わっていないし、店のサービスもそう変わってないはずだ。ベスタならではの工作ベンチも歩道には置いてあるし、バーのウェイターが店のスツールを作っている姿も去年までと何ら変わらない。しかし、ベースの建物――ロケットブースターの集合体に取り付けた投影格子は全てを変えてしまった。
バーやカフェがトラム走路のすぐ脇までテーブルを出すようなことはなくなったし、人は通りに沿って歩くようになり、歩く速度は上がった。この変化をずっと意識していたカナメは、足元を見ることが少なくなり、背筋が伸びたことに気づいていた。同じような変化を体験している市民は多いはずだ。同じはずの服装までも違って見える。
昨日までは自分が変えたのだという誇らしさと、慣れ親しんだ通りを変えてしまった後ろめたさが入り混じっていた。
だが今日は違う。
投影格子がいつかは終わる。その確信を持ってしまった今は、誇らしさも後ろめたさもあまり意味のあるものだと思えなかった。この成果も、1年打ち込んできた努力も意味を持たなくなってしまうのだ。
投影格子の仕事がいきなり止まることはないだろうが、昨日までのように打ち込むことはもうできないだろう。
そこまで考えがまとまったところで、金物屋の店主が投影格子の三角枠を開けて、呼びかけてきた。
「よおカナメ! 寄っていかないか? フォボスから単分子ノコギリが届いてんだよ。工房に行くなら持ってってくれ」
「ありがとうございます」
店主は投影格子の開き戸を開けて歩道に出ると、フィルムに包んだ火星生まれの工具をカナメに渡した。何でも作るベスタだが原子を一列に並べるような量子工業までは手が出ない。
カナメが刃をボディバッグにしまい込むと、店主はカナメの顔を覗き込んだ。
「不景気な顔してるな」
「え?」
「今日は地球のメディアの取材があったんだろう。何か嫌なことを言われたか?」
「いいえ」
「それならいいんだけどな」
「褒めていただきましたよ。たっぷり。大絶賛です」
褒められたのは事実だ。
店主はずらりと最新型の工具と工作ビットが並んだ店をちらりと振り返ってニヤリと笑った。
「それじゃあ、また仕事増えるかな」
カナメは首を振る。
「市長が許さないでしょう。発注があってもケレスに回しちゃいますよ」
「全く、そこがわからないんだよなあ。ケレスから人を呼びゃあいいじゃねえか」
「居住空洞が窮屈になっちゃいますよ」
「市長と同じこと言いやがる。人が増える方がいいだろうよ」
「まあ、確かに」
カナメは頷いた。1年もすぐ近くで働いて重要な会議にも出席させてもらっているが、市長が何を考えているのか読めないことは多い。投影格子関連の仕事のかなりの量を、近くの小惑星に回しているのだ。店長が言うように他の小惑星の人を呼び込めばこの星はもっと豊かになるはずなのだ。
店長はカナメを拝んでウインクした。
「そんなわけで、市長によろしく言ってくれないか? 移民入れてくれって」
自分で言ってくださいよ、と言いかけたところでカナメは背後から呼びかけられた。
「もう取材終わったの?」
振り返ると作業ツナギの上半身を脱いで腰に巻いたキサゲが、屋台の紙袋を持って歩いてくるところだった。どうやら昼食を買って工房に戻るところらしい。
「さっきね」カナメは質問に答えて紙袋を指差した。「それ、フェルナンデスさんのブリトー?」
「そう。新作だよ。見てよ」
紙袋の口を開けようとするキサゲ。カナメはいいよ、と断ったが「いいから見てけって」と言ってキサゲは紙袋からブリトーを取り出した。
中から出てきたアルミ包装を見たカナメは天空光モジュールを仰ぐ。
「……まったく」
包装紙には、投影格子柄がプリントされていたのだ。白地に黒の線で描かれた平面分割のパターンと、円弧と直線だけでレタリングされた店のロゴは、アール・デコにしか見えなかった。
横から見ていた店長も口を挟んだ。
「結構うまいじゃないか。あいつ、ワークショップに出てるんだっけ」
「ええ。窓とか柵とかなら一人前のパターンを作れます」
フェルナンデスは最初期から参加しているメンバーだ。八胞体を扱えるような秀才ではないが、包装紙のデザインぐらいなら朝飯前だろう。
「まあまあお2人さん、この先があるんだよ」
キサゲはそう言って包装を剥がした。ここで食べるのか? と思ったカナメだが、キサゲの手の中で湯気を膨らませるブリトーを見て、彼女が何を見せようとしているのかわかった。
「まさか……」
カナメは声を失う。キサゲはブリトーの皮を破いて、チーズが見慣れた三角形の繰り返しに沿って配置されているところを見せた。
「そう、このブリトーは投影格子で作られてるのよ」
「どういうこと?」
「どうもこうも。フェルナンデス兄さん、工場で積層した投影格子のガイドで具材を載せてるの」
「はあ?」と店長は馬鹿にしたような声をあげる。「それは意味ないだろう、だいたい見えないし」
「そうだよ。何か意味があるの?」
「知らないよ」キサゲは肩をすくめてブリトーを包装紙に包んだ。「何か適当に作ると投影格子になっちゃうんだってさ」
「適当に……落書きみたいに?」
「そういうことじゃないかな」
店長は「わけがわからん」と呟いて店に戻ったが、カナメはキサゲの言った言葉に目を見開いていた。
「ちょっと待っててくれない? 僕もブリトー買ってくる」
キサゲは頷いて言った。
「なんか嬉しそうだね」
工房に到着したカナメとキサゲは、作業の手を止めて集まってきた市民に取り囲まれた。
「お疲れさん」
「インタビューどうだった?」
「御厨さんから聞いたけど、投影格子大絶賛だったんだって?」
「アール・デコって失礼だよな。誰も宝石細工の羽虫なんて作ってねえだろ」
「それはアール・ヌーヴォー。アール・デコは直線使うやつ――」
口々にインタビューのことを聞きたがる仲間たちに、カナメは紙袋を掲げた。
「先に飯食わせてくれよ」
紙袋を掲げたカナメが言うと、入り口近くの作業ベンチが手早く空けられて、キサゲとカナメが食事を取るスペースが作られた。いつの間にかテーブルクロスがわりのペーパータオルまで敷いてあって、丁寧なことにリサイクルバッグまで用意されていた。
そして場所を開けた市民の他に、20人ほどが集まっていた。
「みんなに見られたまま食えって?」
カナメは笑いながらも席についた。キサゲも向かいに腰を下ろして、ブリトーの紙包を開く。
カナメの左隣にいたクレアがすぐに気づいた。
「フェルナンデスの新作ブリトーだ」
「そうだよ」カナメも紙袋からブリトーの包みを取り出した。「投影格子柄だ。中身もそうらしい」
テーブルに集まった市民の半分ほどは既に知っていたらしいが、残りの半分にとっては初耳だったらしく、忙しない情報交換が行われた。その隙に、カナメとキサゲは大急ぎでブリトーを口に押し込んでいく。
ひょっとして、と思ったカナメは注意深く味わったが、とろけるチーズと豆が絡み合うのも、ちょうどいい具合に芯の残った米も、いつもと変わらない。投影格子で味は変わらなかったらしい。
顔に出ていたらしく、キサゲがくすくす笑った。
「味は変わらないよね。でも、ガイドのおかげで作るのは楽になったんだってさ」
カナメがそう言うと、ベンチの周りに集まっていた市民の1人が積層機まで歩いて、リサイクル砂の中から両手にすっぽり収まるほどの大きさの円筒形のカゴを持ってきた。カゴはヒンジで開閉できるようになっていた。
「フェルナンデスの試作プリント、残ってたよ」
カゴの目に、投影格子が使われている。食べかけのブリトーと並べると、サイズはぴったり同じだった。このカゴに豆やチーズ、米などの食材を詰め込んで、皮に落としているらしい。投影格子を使わなければならない理由はなかった。
先にブリトーを食べ終えていたキサゲが、カナメのいじり回しているカゴをチラリと見た。
「何かわかった?」
「うん。投影格子は関係ない」
「そんなの初めからわかってるじゃない。チーズ離れが良くなるかもとか、期待してた?」
「いや。でも、予想通りだった」
その言葉で工房が静まり返った。
カナメはカゴを目の前に持ち上げるとくるりと回してスキャンして拡張現実に浮かべ、全員が見られるように拡大した。
キサゲが首を傾げる。テーブルに集まった他の仲間たちも、カゴの図面に戸惑ったようだった。
1人が言った。
「普通の投影格子……だよな」
カナメは頷いて、パターンを拡大した。
「そう。ワークショップで一番先にやる三角トラスの投影格子だよ」
キサゲが眉をひそめる。
「見ればわかるじゃない。何が予想通りなの?」
「フェルナンデスさんが、投影格子を選んだ理由だよ」
「何?」
「理由なんかない。フェルナンデスさんは何も考えずに、基本の投影格子を描いたんだ。線を引くように」
「え?」
カナメはフェルナンデスが描いたパターンを傍に動かすと、使い慣れた正五胞体を三次元投影した。
「きっと僕らもできる」
再び全員が首を傾げて、カナメの言葉を聞こうと身を乗り出した。
カナメは答える代わりに正五胞体を四次元空間で転がして、影を空間に固定した。投影格子を作るときはいつもやっていることだが、目的なしにこの操作を行ったことはなかった。しかし1年間続けてきた操作は、もはやカナメの手足の延長になっていた。
カナメは正五胞体をさらに転がして三次元空間に投影された頂点をつないでいく。壁から投影格子で作り直されたドーム天井へ、そして再び壁へ、そして完全平面に仕上げられた床からベンチへと投影格子を描く。
工房を斜めに切り取るように描かれたそのパターンは、異なる要素を持つ面を自然に跨いでいた。わずかに湾曲した壁とドーム天井の曲面と、重力勾配を無視した完全平面、複雑な構造の作業ベンチを通る断面プロファイルだ。コンピューターなら断面を取り出せるが、カナメが描いた投影格子のように、線の構成要素を一定に保つのはかなり難しい。
「たぶん――」
カナメは言葉を選んだ。詰めていた息を吐き、腕を組んで体重をかけていた足をもう一方に移し替えても言葉はまとまらなかったが、仲間たちはじっと待っていてくれた。
「わかった」カナメは壁に投影されたパターンを指差した。「投影格子をありがたがるのはやめよう」
カナメの言葉を待っていた仲間たちがつんのめるようにして目を見開いた。驚くのも無理はない。カナメ自身が、自分の口から出た言葉に驚いていたのだ。