SFプロトタイピングワークショップで導きだした未来の世界を題材とした、SF作家 藤井太洋氏の小説(全4回)をお届けしています。前回までのお話はこちら 第1回 第2回
建築惑星 第3回
藤井 太洋
試作品ができたあと、夕方までかけてさまざまな窓枠を作ったカナメは、工房に御厨と市長を招いた。
2人の反応は対照的だった。
「いいじゃない」と感想を一言だけ述べた市長は、カンナとキサゲのスケジュールを押さえ、準備金だという数ヶ月分のギャランティを振り込むと、あとは任せたと言って市庁舎に帰ってしまった。
御厨は違った。
工房に入ってきた瞬間から、御厨が窓枠に魅了されたことがカナメにはわかった。市長がカナメたちのスケジュールを押さえにかかっている間も、ギャランティの支払いをしている間も、御厨はさまざまな角度から枠を眺め、宙にかざしたり、壁に押し当ててみたりしていた。
市長が帰ったあと、御厨はカナメを自分の前に座らせて、どんなふうにしてこの枠が生まれたのかを聞きだした。それも3度も。
御厨は、カナメが作業ベンチに描いたチョークの跡をさまざまな方法で記録に残した。写真を撮り、図面にトレースし、最後には防犯用の空間撮像からも窓枠が生まれる瞬間を取り込んでいた。話を聞き終えた頃には、居住空洞の天空光も地球の夕焼けを模した赤みがかった色を投影するのをやめて、夜の色をぼんやりと輝かせている時刻になっていた。
工房を照らす無影灯の中で、じっとチョークの跡を見つめていた御厨は呟いた。
「……ペンタコロンレーム。ペンタコロンプロジェクション――いや違う。シャドウは違う」
どうやら、正四面体を四次元空間に拡張した正五胞体にちなんだパターンの名前を考えているようだった。難しすぎると思ったカナメは思わず口を出していた。
「投影格子じゃダメですか?」
御厨は目を丸くして、カナメの顔とベンチのチョーク跡を交互に見た。カナメは頭をかいた。
「このチョークは三角トラスの投影です。後から作った枠は正四面体の影だったり正五胞体の平面投影だったりしますけど、転がして影を落とすなら他の立体でもやれるはずです」
カナメは複合現実の作図空間に立方体を出して、床に影を投影した。
「御厨さんも、やってみませんか?」
「ありがとう。どうすればいいのかな」
「どこかの頂点を固定して、立体を転がします」
御厨は右下の点を固定すると、立方体を斜めに転がして投影された線をなぞって、一本目の線を引いた。
「なるほど、こうするのか」
勘所を掴んだらしい御厨は、立方体を転がして床にネットワーク図のようなものを描きあげていく。
「そうです、そんな感じです。結構上手じゃないですか」
カナメは褒めたが、御厨は首を振った。
「ダメですね」
「そんなことないですよ」
「鋸田さん、どう思いますか?」
工具の手入れをしていたキサゲに御厨は呼びかけた。キサゲは戻ってくると、露骨に顔を顰める。
「御厨さんがやったやつ? これはよくないねえ」
「おいキサゲ――」
「いいですよ。どんな感じか言ってください」
「格好悪い、重苦しい、こんなのが窓枠にはまってたら閉じ込められてる感じがする。昔の本に出てくる牢屋みたいな感じ」
「ほら」御厨はカナメを振り返る。
「ダメなんですよ、私のでは」
「そうね」と、キサゲも頷いた。「私もやってみたけど、カナメみたいにはならなかった。いいパターンが続かないのよね」
反射的に「そんなことないだろう」と言いかけたが、2人が作った窓枠を思い出したカナメは思いとどまった。どこが違うとは言い切れないのだが、確かにカナメが高次立体を転がして描いた枠は今にも動き出しそうな勢いを感じさせるのだが、2人の描いた枠は、ただそこにあるだけだ。
「まあ、違いますね」
カナメが頷くと、御厨は作業用のスツールを出して腰を下ろし、カナメに頭を下げた。
「やはり楔戸さんにお願いします」
「え? 何をですか?」
「窓のデザインです。この軽さでこの強度、そして規則がありながらも同じものが一つとしてないかのような自由度がある。この窓枠を現場で組み立て可能なモジュールに仕立てあげてください。ベスタで使われているさまざまな壁材に固定するためのアタッチメントや、サイズ調整を行うための治具。製造ライン、最適な素材選びまで。いかがでしょう」
カナメは返答に窮した。できないから、ではない。
既に検討済みだったからだ。
4種類から7種類のアダプターを用意すれば、居住ブロックの外壁に使われているさまざまなセメントウッドや宇宙船の外壁に取り付けられる。使う場所によって変わる枠のサイズについても検討済みだ。屋内用なら五分角材、高さのある一階部分で使うときは2×4材で、この枠は作ることができる。
製造についても、キサゲと話し合っていた。メインストリートに向いた窓を全て入れ替えることになると5000枚から10000枚は必要になるが、製造ラインの中で最大の面積を必要とするガラスカットの工程にジョイントと組み立て治具を置いておけば、ガラスカットと組み立てを同時に終わらせられる。
組み立て用の専用工具は、セメントウッドからCNT(カーボンナノチューブ)を引き出すスクレイパークランプと、ジョイントの仮止め・締め込みをワンタッチで切り替えるペンチの2種。取り付けに専用工具はいらない。
カナメが迷ったのは、それを伝えると全て決まってしまうからだった。それを知っているキサゲは、戸惑っているカナメに人の悪そうな笑顔をむけていた。
カナメが答えきれずにいると、御厨は不安そうに問いかけてきた。
「試作だけしていただければ、製造はまた別の方にでも――」
「いえ、そうじゃなくて」カナメは慌てて手を振った。「御厨さんが言ったことは、検討しているんです」
カナメが検討していた図面やワークフローを拡張現実に展開すると、御厨は口をぽかんと開けた。
「終わってるじゃないですか」
「実際にやってみたら詳細は変わると思いますけど、ええ、ほとんど終わってます」
「じゃあ、やっていただけるんですね?」
「いえ――あの……」
窓の設計を考えているのは面白かった。実際に使う窓を作り始めればもっと楽しいことになるだろう。だが、ここで首を縦に振れば、ベスタの眺めは間違いなく変わってしまうのだ。1つとして同じ形のない窓が並ぶベスタの風景は失われてしまう。
「ちょっと聞きたいんですが」と、キサゲが御厨に声をかけた。「このプロジェクト、途中で止められます?」
「どういう意味ですか?」
キサゲは工房の高い位置にある窓を指差した。セメントウッドの平たい壁と、小惑星間用のコンテナの外壁がぶつかる場所に空いた隙間に、アルミニウムのパイプを曲げた窓枠がはまっている。枠の中には内惑星用の宇宙服に使う菌蒸着したフェイスプレート素材のペアガラスがはまっていた。
ベスタで最もよく見かける、あり合わせの材料で作った1点ものの窓だ。キサゲは言った。
「あの窓は私がつけたんですよ。10歳の時だったかな」
「……なるほど」
御厨が慎重に頷くと、キサゲは工房をぐるりと見渡した。
「ここの材料と工具って、誰でも使えるんですよ。だから誰でも窓ぐらいならつけられます。軌道計算をするよりも早く、工作を覚えるんです」
「そう聞いています」御厨は再び慎重に頷いた。「素晴らしい文化だと思います」
「カナメが心配してる理由はわからないけど、私は、カナメの窓ばかりになると、技術がなくなるんじゃないかとは思ってるよ。そこは不安」
「なるほど」と、御厨は頷いた。「ベスタらしさがなくなるかもしれないということですね。カナメさん、これを心配されているんですか?」
「いいえ」
カナメが無意識のうちに答えると、キサゲが硬い声で応じた。
「どういうこと? 企画品をたくさん作るんでしょ?」
カナメは首を振った。キサゲのおかげで自分のやるべきことがはっきりわかった。
「みんなで作ろう。できるだけたくさんの人が関われるようにしよう」
カナメは溝だけ切った小割を手に取った。
「たとえばこれ。僕は溝を切ったけど、溝とギンナンが入った形に積層したセメントウッドなら中空フレームにしても強度は保てる」
「カナメがやればいいんじゃない?」
「専門家に任せた方がいいよ。設置する場所によってはセメンウッドじゃなくて金属の方がいいこともあるし、セメントウッドを使うにしてもCNTは専用のものに変えたい。そうなると、木工専門の僕には手が出せない。取り付けは僕が考えたようなアダプターじゃなくて、接着剤が使えるところもあるはずだよ。ケミカルを僕は扱ったことがない」
「そうか、なるほどね」
「当然だけど、管理も任せたいよね。コンセプトは同じでも取り付ける場所ごとにサイズは微調整しなきゃいけない。アダプターまで含めると、ものすごい種類を作らなきゃいけない。倉庫とか、コンテナも必要だよね」
「確かに」
カナメは手の中の小割りをベンチに置いて、端を指の背で叩く。反動で小割が浮き上がるのを確かめると、カナメは御厨に言った。
「ここの重力だと組み立てのミスが増えます。市長に掛け合えば0.5Gの工場を借りられますか? 確か木星開発公団から受注してたヘリウムコンテナの製造が終わって、空いてるはずです」
「え? ああ、もちろん大丈夫だと思う。石鎚市長から、その工場も使っていいという話は聞いているし」
御厨は、目を見開いた。
「それはつまり……投影格子のデザイナーを引き受けていただけるんですか?」
カナメは頷いた
「やります」
間違えていたら誰かが修正するなり止めるなりしてくれるだろう。
カナメの予想は外れた。
誰も、カナメがデザインした投影格子を修正してくれなかったし、窓が増えていくのを止める人も出てこなかった。
歓迎されたのだ。
石鎚市長に命じられてカナメが開いたワークショップには学校を卒業したばかりの第5世代から、成長期を無重力で過ごした祖父母らの第2世代まで、何人もの市民が集まって、投影格子の理論を学び、派生デザインを作りはじめた。
そして、投影格子の窓はカナメの予想を超える速度で広まった。
0.5G工場で窓枠の製造が始まると、中央通りに面した全ての窓はわずか2ヶ月で入れ替わってしまった。念のためにと御厨が用意していた宣伝を使う必要もなかった。
予定していなかった裏通り用の窓枠も、いつの間にか入れ替えが進んでいた。市民たちは居住空洞の工房でセメントウッドとジョイントを積層し、投影格子を組み立てて、自分の居住ユニットの窓に入れ替えていたのだ。
製造の前に、そして作っている最中でも設計には多くの修正が施された。面取りの断面は円弧からハイライトが柔らかく減衰するβスプラインに変わった。枠にはめるガラスも窒素封入ガラスから、液体を封入するリキッドグラスに変わり断熱効果と付帯機能を持つ窓が生まれていた。高次空間幾何を学んだ市民が投影格子のネットワーク結節点に拘束条件があることを発見したおかげで、角度フリーの自在ジョイントをやめて15種類の角度固定ジョイントを使えるようになった。設計は簡素になったが強度は上がり、重量はさらに下がった。理想的だ。
中央通りの窓が入れ替った頃、ワークショップに参加していた市民の中に、カナメが扱えなかった直方体を四次元展開した八胞体や四面体を五次元展開した十六胞体を扱える市民が現れた。この拡張で三次元空間のあらゆる不連続面をなめらかにまたぐ投影格子の記述が可能になり、投影格子は食器や工具、トラムのボディの装飾にも使われるようになった。
しばらくすると、ベスタで受託したドーム都市の骨組みや居住ユニットのサポート壁、宇宙船のトラスにも見せる構造材として使われるようになった。
反応は上々で、火星ですぐに海賊版が現れるほどだった。しかし多胞体の扱いを学んでいないデザイナーの描いたパターンは質が低く、ベスタのものとまるで違っていた。市長と御厨はカナメと相談して、投影格子を描くプログラムを太陽系の学術ネットワークに公開した。
プログラムの公開には「誰でも投影格子を作れるようになるとベスタの仕事が取られないか」という反論もあったが、市長は、納品が追いつかない投影格子製品のバックオーダーを指摘した。
「そろそろ他の人たちにも作ってもらおう。投影格子は今までも私たちが作ったし、誰よりも上手く作れる。それでいいんじゃない?」
火星のドーム都市や月面都市で、土星の大気鉱山で、そして航宙船内の工作室で、美しく強靭な骨組みを作ることのできる投影格子は使われるようになった。
小さなものは外科手術用のワイヤートラスから、大きなものは惑星建築まで。
ガニメデ開発公社は、氷柱を枠に用いる採掘エレベーターを投影格子で作ることを決めたが、公社のデザイナーは必要な強度を出すことができず、 カナメたちが参加して実施設計案を仕上げることになり、ベスタの名声はますます高まった。
そうこうしているうちに、地球のメディアからベスタ市庁に連絡があった。
投影格子の生みの親である、楔戸カナメを取材したいのだという。取材を申し込んだジャーナリストは、番組の名前をこうしたいと提案してきた。
「小惑星生まれのアール・デコ」