SFプロトタイピングワークショップで導きだした未来の世界を題材とした、SF作家 藤井太洋氏の小説(全4回)をお届けしています。前回はこちら
建築惑星 第2回
藤井 太洋
「早かったじゃない。お昼ご飯ぐらい食べてくるかと思ったのに」
工房に着いたカナメは、鋸田キサゲに呼び止められた。
「朝は工房開けてくれてありがとう。問題なかった?」
「まあね」鋸田は工房を見渡した。「鍵を開けてヒーターを入れただけだけど」
弓形の居住空洞の片方の壁を削って作り上げた工房は幅が30メートルで奥行き90メートル、そして高さが20メートルの細長い空間だ。奥の一面は何十億年か前にベスタに降り積もった片麻岩の黒い粒が点々と浮かぶ壁だった。平面に削り出してあるので、カナメたちは加工面が平面かどうかを確かめるために使うことも多い。
岩壁の反対側には、木星の大気鉱山を受注したときに製造した電磁波遮蔽板を流用した壁が立ち、その表面ではミリスケールの積層プリンターがセメントウッドを積層していた。セメントウッドには導電性の高いCNTケーブルを埋め込むので、電磁場が乱れていない場所が望ましい。
カナメは、自分がセットしておいたセメントウッドが順調に製造されていることを確かめると、市民に開放している大小様々なサイズの重力積層機が並ぶ一隅に目をやった。ベッドフレームに手すり、コンテナに、不定型の穴を塞ぐためのドアが積層されている中で、カナメは昨日の夕方まであったシャワー室の居住ブロックがなくなっていることに気づいた。
「あれ?ミユウさんのシャワーは?」
「ラーメンになった」
ため息まじりに言ったキサゲが後ろ指を指す。見ると昨夕まで積層機の下で完成を待っていたシャワー台がリサイクル砂の山に飲み込まれていくところだった。シャワー台の上部では、シャワーを保持するパーツが斜めにずれるように積層された樹脂が、パウチから出した多菜麺のようにもつれあっていた。なんらかの理由で積層する場所がずれてしまったのだ。
「あれ? 倒れたの?」
「カナメのせいじゃない。あの場所は重力が斜めってるから、サポータを増やさなきゃいけなかったんだ。私言ったのに」
「そういうことか」
カナメはミユウがバスルームを積むために使っていたあたりのコリオリ力を複合現実で確かめる。
遠心力で作る人工重力は、回転軸からの距離によって強さが変化するので、ベスタでは居住空洞の0.2Gになる円周上の面を「地面」ということにしている。しかし、工房の床は奥の壁と同じように完全平面なので床から積層する時はわずかに斜めになった重力を受けていることを考慮しなければならない。
「やり直してる?」
「あそこ」キサゲは積層機置き場の中央を指差した。
「真ん中は床がまっすぐだから、だってさ。そういうとこばかり知恵が回るんだから」
その言いぶりにカナメは笑ってしまう。だが、コンテナの射出計算をやっているミユウは熱心な工房の利用者ではないが、それでもこんな工夫ができるあたり、やはりベスタ市民なのだ。
手を動かしてこそベスタ市民――御厨との会話を思い出したカナメの心は一瞬で冷えてしまう。突然笑うのを止めたカナメにキサゲが首を傾げる。
「市長から何か言われたの?」
「市長からは、何も言われてない」
「誰?」
「御厨っていう地球人。窓作らないかって」
「へえ、クライアント自らやってきたってこと?」
「違うかな。市長が呼んだのか、御厨さんが持ちかけたのかわからないけど、居住空洞 で使う窓を作らないかってさ」
「窓?」キサゲは工房の壁に穿たれた窓をチラリと見た。「作ればいいじゃん」
カナメは苦笑いする。これがベスタ市民だ。なければ作る。作れないものなどない。
「決まった形にしたいんだって」
「意味なくない?」
キサゲは眉をしかめると、まくしたてた。
「だって開口部の形も壁の構造も違うよ。地球の深海都市の居住ブロックと、外惑星航行船の倉庫をくっつけたりしてるんだから。まさかその――御厨さんだっけ? その人って居住ブロックまで揃えろって言ってるわけ?」
「そこまでの話じゃないと思うよ」
「じゃあ、やっぱり自分で作った方がいいじゃない。自分で作れないなら、友達だってご近所さんだってやってくれるんだし」
懸念はもっともだ。ベスタの繁栄と言っていいかどうかわからないけれど、楽しく暮らしていけるのは受託する建材の試作品や中間生成物を加工することで、暮らしを豊かに彩れるからだ。
キサゲは重ねて聞いてきた。
「どういうプランなの?」
「中央通りに面した窓を、細い枠の同じ意匠のに変える計画なんだよ。グラウンドと2階までは高さも揃える」
ああ、とキサゲは納得の声をあげる。
「あれか、ミルフィーユみたいな潰れビル。地球人が考えそうなことだよね。高さ揃ってないと見苦しいよね」
「いや……」
同意を求められたカナメは、素直に頷けなかった。
図面に没入したとき美しさは感じたのだ。広くなったようにも感じたし、自分の位置や向いている方向もはっきりとわかった。あの窓が並ぶ居住空洞は住みやすくなるだろう。それは間違いない。だが、誰かの思いつきで塗りつぶすのがいいとは思えなかった。
「でも、カナメのことを評価してくれてはいるのか。どうする?」
カナメは誰もいない工房をありがたく思って言った。
「ちょっと手を動かしながら考えてみるよ」
セメントウッド材置き場に向かったカナメは、六尺小割が立っている棚の前に立った。もっとも六尺材とはいえ長さは1800ミリで、断面も30ミリ×20ミリと地球時代の自然単位系ではない。ベスタの開発は日系企業が主導したので、太陽系で最も使われている2×4系列と同程度に、尺寸に近いセメントウッドもかなり使われている。
カナメが小割の棚から3本選んで抱えると、テーブルソーが並ぶエリアに向かうと、キサゲもついてきた。
「小割なんかどうするの」
カナメは手の中の小割をじっと見つめた。その様子を見たキサゲが肩をすくめる。
「あれ? 怒ってるんだ。御厨さんとかいう人、カナメのことを評価してたんじゃない?」
「もちょっと待って」
まだ何と言っていいかわからない。カナメはテーブルソーのストッパーを600ミリの位置に決めると、ガイドに載せた小割りを3本にカットした。単分子ブレードで切ったセメントウッドの切り口は鏡のように滑らかで、内部に仕込んであるCNTケーブルの断面も点々と見えている。
カナメが次の小割をガイドに載せると、キサゲが言った。
「何言われたか、聞いてもいい?」
「手が動くだけの道具みたいに言われた気がしてさ。ちょっと、八分側のセンターに幅8ミリ、深さ15ミリの溝切ってくれない?」
「ドライガラス用の溝だね。いいよ」
キサゲはカナメが切った小割を取り上げると、向かいのテーブルソーを起動させた。コントローラーを呼び出して溝切り用の厚いノコ刃を出したキサゲは、小割をガイドに載せる前にカナメに尋ねた。
「面取りはどうする?」
「5ミリのギンナンを入れる。僕がやるよ」
ギンナンは表面から一段落としたところに大きな角丸めを刻む手法だ。ホコリは溜まるが、ハイライトはゴージャスになる。
キサゲは「わかった」と答えてガイドに載せた小割を押して、溝を切り始めた。カナメもキサゲも物心ついた頃から工房に出入りしているので、細かい打ち合わせなど必要ない。
3本の小割を600ミリにカットし終えたカナメは、キサゲが溝を切り終えた小割を持って、ルーターを埋め込んだ作業台に行き、ビットを交換して角にギンナンを刻みつける。カナメが4本目のギンナンに取り掛かったところで、キサゲが溝を切った小割を持ってきた。
「こっち終わったよ」
「ありがとう」
小割を受け取ったカナメが材をルーターに押し込んでいくと、出口側に回ったキサゲが加工面に目止め剤を刷り込んで、バフで磨きを入れて作業台に並べていく。
面取りの作業を終えたカナメは、磨かれた小割の断面をポケットナイフで抉って半透明のテープを引き出した。
脆く、引っ張り強度のないセメントにしなやかさを与えるためのCNTケーブルだ。宇宙エレベーターに使うほどの張力耐性があるこのケーブルをクランプ内蔵ジョイントに噛ませて締め上げると、角度をつけて接合させた棒材のセメントウッドを、立体構造の骨組みに使うことができるようになる。
小割を磨き終えたキサゲは手袋をリサイクルボックスに放り込むと、カナメがケーブルを引き出しているのを見て言った。
「ジョイント持ってこようか。角度は矩(90度)、それとも一寸七分(60度)?」
「ええと……一寸七分かな」
キサゲは、ジョイントの棚から一抱えほどもあるコンテナを抱えて、クランプのある作業ベンチに持ってくるとジョイントを取り出して並べ、カナメを呼んだ。
「ほらほら、こっちにおいで。そこじゃ三角トラスの組み立てなんてできないでしょ」
「三角トラス……?」