目に焼き付いた新宿副都心の悪夢のような光景。
2011年3月11日午後2時46分。
そのときの、新宿副都心の光景には息をのんだ。その場にいたわけではないが、その映像に背筋が凍った。「あっ、折れる!折れてしまう!」と思わずテレビの前で声がでた。ポキッ!と耳元で音がした、ような気がした。怖がりなくせにパニック映画を、テレビでやっていたらチャンネルを合わせてしまう。CGと分かっていながら、手に汗を握っている。心拍数も、たぶん急上昇高止まり。ちなみに、トラウマ的に記憶に残っているのが「タワーリングインフェルノ」だ。(当時、CGがそんなに進んでいなかったぶん、余計にドキドキしたが…)それよりも、怖い生きた心地のしない光景だったのだ、その西新宿の高層ビルがギッシギッシと大きくしなる姿は。
いまでも新宿に行くと、しみじみと上を見上げる。しかし、多少フラッシュバック的になるのは、当時に比べずいぶん少なくなったことも確かだ。なぜなら建築工学の大学教授の一般向け講座を聞く機会があったからだ。
超高層ビルの耐震のお手本は「五重の塔」にあった!?
先生のお話では、一般的に同じ形状で、同じ大きさのビルなら、重量が大きい方が地震のエネルギーが大きく作用する。けれども、その地震のエネルギーは、同じ重量であっても、高さで違ってくる。中層の10階建てよりも数十階建ての超高層のほうが建物の重量当たりに作用する地震のエネルギーがずっと小さいので、中低層ビルは揺れ幅は小さいがガタガタと激しく揺れ、超高層ビルはゆーらゆーら大きくゆっくりと揺れる。
トリビアだったのが、五重の塔の原理を応用しているので超高層ビルほど倒れないという話だった(柔構造というらしい)。五重の塔は、応仁の乱とかの戦災で焼失した例は枚挙にいとまがないが、地震による崩壊の記録はほとんどないらしい。これも、なるほど!だった。
五重の塔と超高層ビルは周期2~3秒以上の固有周期を持つ構造物と見れば「同じもの」といえる。基礎から天頂部までを貫通する「心柱」が全体を支え、各層の「側柱」が地震時にずれることで振動を減衰させるようになっているらしいが、その減衰作用は、超高層ビルでは「制震ダンパー」という装置が担っているのだ。そして、超高層ビルという建物が持つ、とてつもなく大きな垂直方向の自重に加えて、地震と風といった水平方向の外力に耐える、しなやかな高強度材料による骨組みも、超高層ビルの高い変形能力を支える、折れない工夫なのである。
図解で、かつ極力専門用語を使わず説明してもらったおかげで、ずいぶんと恐怖心、不安が和らいだ。やはり、無知は怖い。「天災は忘れたころにやってくる」という有名な格言を残した、夏目漱石の一番弟子、寺田寅彦は「正しく怖がる」ということの重要性も語っている。怖がりの私には殊の外ズシリとこたえた。
「想定外」と言い訳しない!
「超高層ビルは大地震に強い」ということをアタマでは分かったつもりだが、文学部出身のひねくれた疑りぶかい性格もあるが、100パーセントとか完全と言われると、つい条件反射的に「ホントかな」と勘ぐってしまう。新宿で見た超高層ビルの、折れそうなしなった大揺れの光景。確かに倒れもせず、致命的な損傷もなかった。ニュースレベルでは、そう理解している。
しかし、震源から遥か770キロも離れた大阪湾を埋め立てた人工島、咲洲の55階建て大阪府咲洲庁舎では、とんでもないことになっていたと後から知り呆然唖然。震度3だったのに、左右に往復3メートルも大きくゆっくりと揺れた。そのせいでエレベーターは止まり、5時間も利用者が閉じ込められ、360か所も建物は損傷した。超高層ビルは大地震に強い理由の一つとされる「長い固有周期」という特性が、長周期地震動と共振して、長く大きな揺れへと増幅してしまったのだ。
これを「想定外」と済ましていいのだろうか。研究者、技術者の誠意ある、地道な取り組みに期待するしかない。同時に、私たちも、近い将来の南海トラフ巨大地震や首都直下型地震に「日光東照宮の三猿」になっている心理状態をいまこそリセットしないとダメなのだと、つくづくそう思う。
- 大槻 陽一
- 有限会社大槻陽一計画室 ワード・アーキテクト
- 参照資料
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- 「安震技術研究会著 地震に強い建物」
(ナツメ社 図解雑学シリーズ2003年7月7日発行) - 「耐震・免震・制震のはなし-第2版-」
(斉藤大樹著 日刊工業新聞社 2008年4月25日発行) - 「特集 超巨大地震の地殻変動がもたらしたもの」
(国立科学博物館発行「milsilミルシル」第5巻第5号通巻29号 2012年8月発行)
- 「安震技術研究会著 地震に強い建物」