清水建設と日本SF作家クラブのコラボレーション企画「建設的な未来」は、これからの社会に起こりうる事柄に対する、よりよい未来の「建設」に向けて、私たちができるかも知れないこと、また、乗り越えた先にあるかも知れない世界をテーマにしたショートショートです。
第23話は新井 素子さんの『騙し舟』です。お楽しみください。
第23話
騙し舟
新井 素子
うっわあ、場違いな処に来ちゃったな。会場にはいってすぐ、あたし、そう思って・・・あたりをきょろきょろ。立食パーティだから、中央と隅の方に食べ物のブースが沢山並んでいて、あ、これだ。これこそがあたしがするべきことだ。とにかく会費を払ったんだもん、もとだけはとらねば。それには、御飯だ。会費3万円分の食事は、まず無理だろうけれど、とにかく御飯を。あ、いや? よく見ると、キャビアとか、鮑なんかもあるぞ? ああいう、単価が高そうなもの、そればっかり狙って食べれば・・・3万は無理でも、ある程度のもと、とれるか?
となると、今手に持っているウーロン茶のグラス、これはないよね。お代わりはシャンパンにしよう。乾杯が終った今、お代わりでシャンパンを頼むのはなんか変かも知れないけれど、単価から言えばシャンパンだ。常日頃、まず飲むことはないシャンパンを、こころゆくまで飲んでしまおう。明日二日酔いになったって知るもんか、3万も払ったんだもん、もとだけはとらねば。
そんでまああたし、ぱくぱくぱくぱく、ごくごくごくごく。
ここは婚活パーティ・・・っていうのかな、そこまであからさまにうたってはいないけれど、まあ、そういうパーティである。でもってあたしは、友人から無理矢理このパーティのチケットを買わされた。本来来る筈だった彼女、お祖父さんが亡くなり、チケットをあたしに押しつけたの。
参加費3万! 普段だったら絶対断るんだけれど、お祖父さんが亡くなったばかりの友人にそんなことも言えず、しょうがない、やってきて・・・で、案の定、あたし、浮いている。まあ、婚活するつもりもないしなあ、なんか、このパーティ、男性出席者のグレードが高いらしくて(有名企業のひとばっかりらしい)、「だからこれで3万はお買い得なんだって」って友人は主張していたんだけれど・・・有名企業のひとばっかりだからか、こっちから話しかけられるような雰囲気のひとなんて、全然いない。
と、そんなこんなで、ひたすらぱくぱくしていたら、いきなり話しかけられて、あたし、驚いた。
「驚きました」
しかも、話しかけられた台詞が、これだ。いや、話しかけられて驚いたのは、あたしの方だってば。
「こういうパーティで、ひたすら御飯食べてるひとって・・・いるんですね」
・・・この男。あたしに喧嘩売ってんのか? ただ、この時のあたし、食べ物を口にいれたばかりだったので、すぐに反応することができず。で、もぐもぐしていると。
「あ、ごゆっくり。御飯はちゃんと噛まないといけないですよ」
お言葉に甘え、あたしはその時口の中にあったものを、すべてゆっくり咀嚼する。ただ・・・この段階で、あたし、この男に対して、ちょっと好意的な判断をしていた。
だって、このひと。“御飯”って言ったよね? “食事”じゃなくて、“御飯”。この言葉遣いは、悪くないと思う。それに、口の中に御飯がある以上、まずそれをちゃんと噛めっていうのも、正しい判断だ。
で、ごっくん。あたし、口の中にあった御飯を呑み込んで、改めてこの男と対峙する。
「いや、ごめんなさい。僕も、実は、この手のパーティ苦手で・・・」
じゃあ、来るなよ。瞬時そう思ってしまったので、あたしの台詞、なんか予想外につけつけとしたものになる。
「まさかお友達のお祖父さんが亡くなったんですか? だからしょうがなく?」
言ってしまってから、反省。自分の被害を無関係のひとに訴えてどうするんだあたし。これはとても失礼だ。でも、そう思った瞬間、彼は笑って。
「ああ・・・あなたがこのパーティに参加した理由、それで判りました。だから、ひたすら御飯、食べていたんですね?」
で。気がつくとあたし、このひとと談笑していた。話してみたら結構楽しかったし。しかも、きっかけがきっかけだったから、あたしも名乗っていないし、彼の名前も聞いてない。婚活として一番大切なことを無視していたのが、お互いに楽しかったのかな、妙に話がはずんでしまって。いつの間にか、彼、自分の仕事の話をしだしていて。
「僕の仕事は、基本、紙なんです」
言われた瞬間、えって思った。だってそれって・・・あたしの仕事に、非常に近い。
「みなさん、紙って言ったら、弱いとかすぐ破けるとか、そういうイメージ、持っているでしょ? 手で破くこと、できますもんね、普通の紙は。でも、そうでもない紙もあるんです。強度がある紙。たとえば、建築現場で使われている紙だってあるんですよ」
え? 建築現場? いや、だって、紙なのに?
「梱包材なんかはまだ納得ができるでしょうけれど、そんなもんじゃない、トンネルの風門を作っている紙だってあるんです。あれ、非常に強度が必要なのに、でも、紙」
え、だって、繰り返すけど、紙、でしょ?
「まったく別の現場なんですが、水に強い紙だってあります。表面に撥水性のものを塗れば、紙だけど魚の生け簀を作れる、そんな紙だって、今はあるんです」
いや、紙って、水に弱いに決まっている筈なのに? ・・・あ、ちょっと待て。生理用品。あれは、紙なのに、ひたすら保水性があった。それも、あたしが中学の頃に較べて、その性能はどんどん向上している。
「強度があったり保水性があったり、そんな紙だって、あるんです。そして、紙には紙の優れた点があって・・・」
「軽い、とか、加工が楽だ、とか、そういうこと、ですか?」
で。あたしがこう言ってみたら。彼、軽く息を飲んだ。
「反応、早いな。どうしてお判りなんですか?」
これに返事をするのは簡単だ。
「あたしも・・・紙を使っている仕事、してますから」
まあ、これは半分本当だ。あたしは今、伝統的な和紙を作る仕事をしている。でも、あたしにしてみれば、これは“本業”じゃないのね。自分の気持ちの中では、あたしは、折り紙作家だ。伝統的な和紙を使って、創作折り紙を作っているの。(ただ、あたしレベルの創作折り紙では、もう全然、喰っていける状況とは程遠い。けど・・・気持ちはね、気持ちだけは、創作折り紙作家なんだ。個展だって、3回やらせてもらったし。・・・まあ・・・実費すら出ないレベルなんだけれど。しかも、たつきの道である和紙制作だって、喰ってゆくの苦しいレベルだし。)