清水建設と日本SF作家クラブのコラボレーション企画「建設的な未来」は、これからの社会に起こりうる事柄に対する、よりよい未来の「建設」に向けて、私たちができるかも知れないこと、また、乗り越えた先にあるかも知れない世界をテーマにしたショートショートです。
第21話は木立 嶺さんの『海の底の風と月』です。お楽しみください。
第21話
海の底の風と月
木立 嶺
俺の住む鳴門市――そして四国全体が、実は本州と繋がっていないことを思い知らされたのは、大学入試の前日だった。
試験会場が大阪の北梅田だったので、俺は前日の夜に家を出たのだが、折悪しく西日本全域を大嵐が襲い、本州と四国を結ぶ交通が途絶えてしまったのだ。
俺はJR徳島駅前のバスターミナルで、バッグを床に落とした。明日の昼過ぎまで大阪に向かう便はない、と電光掲示板が告げている。ガラス戸の外では、暗闇と暴風にベットリ沈んだ街中で、街灯の光だけがグラグラ揺れていた。
今夜は満月なのにな・・・。
口の中に苦い味がする。家が漁師だから月齢の確認は日課だが、今は何の役にも立たない。
先月まではリモート受験ができたのだが、地元の誰かがAI替え玉を使ったのがバレて急遽中止になってしまった。つまり――俺は詰んだってことだな。
その時、背後できれいな標準語が響いた。
「どうやら私と同じく立ち往生みたいだね、未成年の深夜徘徊君?」
振り向くと、黒いスーツ姿の女の人が、掲示板を見上げてニコニコしている。
「新年になっても、人の世は相変わらず散々だ。おせち料理は台風一号に吹き飛ばされ、バレンタインの告白は台風二号に消し飛ばされて、今日は台風三号が大阪行きのバスを掃き飛ばした。けど、あきらめるのはまだ早いよ。私達には二本の足がある」
「大阪まで泳ぐんですか?」
この問いは、不良扱いされたことへの反発だったが、相手の背筋がスラっと伸びていて、水泳が得意に見えたせいでもあった。――相手の視力のよさそうな瞳が見開かれ、同時に唇がピンと張ったのを見て、俺の背筋に緊張が走った。ひょっとして怒らせたか?
しかし女の人は、そろそろ美容院に行くべきボブカットを、ゆっくり傾げた。
「君は《うずしおウィンド》を知ってるかな?」
「知ってますけど・・・あの、それは風力発電所ですよね?」
女性が口にしたのは、移動式洋上風力・波力・潮流複合発電施設の名である。メインは風力で、長大な浮体に巨大な風車をずらりと並べ、普段は安定した風の吹く太平洋をさまよっているが・・・間違っても乗り物ではない。
「その発電所が播磨灘に避難していて、臨時の海中トンネルを作ってるんだ。鳴門から兵庫県の赤穂まで、自転車で行けるよ」
「・・・一般人は通行できないですけど」
「そうさ、だから私は粘ったよ? 粘って粘って粘りぬいて、ついに『バスが止まっていたら通してもいい』って言質を取ったんだ。ただ、規則上ダイバーの同行が必要なんだよね。一緒に来てくれると助かるんだ」
そう言って、俺の顔を見つめる。
「なんで俺がダイバーの資格を持ってると?」
「君の靴ひも、結び方が漁師結びだ。それを見て水産高校の学生だなと直感したんだけど、違ったかな?」
違わない。今時の水産高校はどこもダイバー必修である。潜水漁船に乗るのに必要な資格だからだ。俺はゴクリと唾を飲み込む。この申し出は渡りに船だが、しかし・・・。
「赤穂から試験会場まで、どうやって行けばいいんです?」
「そんな心配は、土左衛門になってからすればいいよ」
女の人はタクシーに俺を乗せた。そして車が動き出した瞬間、俺の目の前に警察手帳が突きつけられた。
「受験生の君、名前は?」
* * * *
《うずしおウィンド》は、俺の想像を超えた施設である。全長百メートルの浮体に高さ百メートルの風車を二列に並べて、これが六百基も数珠繋ぎに連結されている。作った電気はレーザーに変換して、上空の衛星コンステレーションの反射鏡に照射、跳ね返って来たビームを地上の受光施設で受けて送電網に流すか、飛行機や船のバッテリーを直接充電する。
全長が六十キロメートルもあるのは、それだけ長ければ曇りの日でも発電所のどこかは晴れ間を覗くことができ、そこからレーザーを発射できるからだ。
だが今夜のように日本中が雲に覆われてしまうと、レーザー送電が機能しない。その場合は、《うずしおウィンド》は播磨灘をまたいで係留され、本州と四国の両方に電力を直接供給するのである。そのタイミングが受験日と重なったのは不幸中の幸いだった。
が・・・。
「こんな大嵐の夜に村上水軍の末裔に出会うなんて! それなら無理やり補導した方が面白かったなあっ! 『徹君、ご先祖の悪行について、ちょっと本庁で話を聞こうか』なんてっ!」
「だから、苗字が同じでも海賊とは関係ないんだって!! 村上って、関東じゃそんなに珍しい姓なんですか、流山さんっ!?」
俺は真っ赤な顔をして叫んだ。そもそも徳島県は海賊の根拠地じゃなかったと、いくら郷土史を説明しても、東京の刑事にはさっぱり通じないんである。何でもAIに強いからと受験不正の捜査に駆り出されたあと、帰京できなくて困っていたらしいが。
「どうせなら、名前の洲砂で呼んでくれないかな。小っちゃい頃、迷子の呼び出しで『流山市の流山さん』なんて放送されて、顔から火を噴いたんだ」
「それは痛い思い出ですね」
俺は千葉県流山市の存在を知っている振りをした。
鳴門側の係留施設で、俺達は職員から注意事項を聞かされた。
海は広いが航路は狭い。船同士の衝突は常に存在する危険だ。ところが《うずしおウィンド》は全長があまりに長いため、舵を切るくらいでは衝突を避けられない。そこで、風車を支柱ごと折りたたみ、自ら潜航して相手をやり過ごす仕組みになっている。ただ、瀬戸内海の海上交通はストップしており、漂流船の情報もないので安心していいとのことだ。
荷物を防水バッグに詰め込み、借りた電動自転車にまたがって地下通路を進む。三つ目の水密扉を通り抜けると、そこはすでに《うずしおウィンド》の内部だ。
ベージュ色に塗られた、そっけない通路だった。幅も狭ければ天井も低い。洲砂さんはともかく、身長178センチの俺が頭を天井にこすりそうになる。
それも当たり前で、この通路は電磁誘導式ウォータージェットエンジンのパイプを兼ねているのだ。ほんの半日前まで、この中を超電導電磁石で加速された海水が流れて《うずしおウィンド》を動かしていたのである。
しかし今は、六千基の風車が暴風のエネルギーを電力に変える回転音が、インインと通路にこだましているだけだ。風車の支柱は波力発電システムを兼ねていて、波浪の生み出す圧力――正圧と負圧の両方を風車の回転軸に導き、その回転を補助している。だから正確には風力・波力ハイブリッド発電である。
洲砂さんは、借り物のダイバースーツの着心地が悪いのか、背中のエアタンクが気になるのか、顔をしかめながら、しきりに鼻をひくつかせている。
「何だか、スーパーの海産物コーナーにいるみたいだ――いや、むしろ海苔?」
せめて磯の香りと言ってくれないか。
「これは黒潮の匂いです」
「えっ、漁師はそんなことも分かるの?」
「黒潮は栄養が足りないから、プランクトンの量が少ないんですよ」
安ウイスキーの匂いそっくりだ――俺は顔をしかめた。不漁の続いた日々を思い出す。この感覚は、洲砂さんには分かるまい。
「浮体が常に海面下五メートルに没していると聞いた時はびっくりしたが、海上がどんちゃん騒ぎなのに、ここの床はピクリとも動かないんだな」
「ええ、海中には波の影響は届かないんで。だから多少の時化でも漁ができる潜水漁船が流行るんですよ。今は年中嵐ばっかりで、普通の漁船じゃ食っていけない」
「まさしくしけた話だな、ハハハッ」
面白いんかい。
「すまないな、つい安心してしまった。地球温暖化の世の中だけど、人間には《うずしおウィンド》みたいな、クリーンでグリーンな発電システムを造ることができるんだなって・・・怖い顔をして、どうしたのかな?」
「――グリーンがクリーンとは限らないですよ。なんなら、ここで採れるカタクチイワシを刺身にして食べてみてください。アニサキスがいますから」
「アニ・・・って何?」
「寄生虫です」
しばらく沈黙が続いた。
「なるほど、グリーンな寄生虫は困るな。けど、両立はできると思うんだ。この前ニュースで流れたけど、瀬戸内海で縄文時代の遺跡が見つかったよね?」
「播磨灘遺跡のことなら、ちょうどこの辺りです。六千年前は、瀬戸内海全体が陸地だったから」
「それさ! このまま台風がひどくなって地上に住めなくなったら、元居た場所に帰ればいいんだ。播磨灘の中に、この発電所の百倍大きな海底都市を造って、みんなで引っ越すのさ。風車だけ海の上に突き出して、発生した電力でクリーンなイワシを育てる。大阪は大阪湾に、京都は琵琶湖に移して、東京は・・・そうだ、今のうちに東京湾の海底を買い占めよっと」
ああっ、この人全然分かってない! 心の嵐を鎮めるのに、俺はやっと成功した。
「言っときますけど――海は人間より手が速いですよ。海底都市造る暇なんて、絶対にくれないから」
洲砂さんは口を開きかけたが、俺の空気を悟って押し黙った。気まずい沈黙の中、俺は次第に大阪に行く気が失せて来た。もともと大学に興味なんてない、俺は播磨灘で魚だけ採ってれば幸せだったんだ――。