2021.07.19

建設的な未来(日本SF作家クラブ)

コラボレーション企画
建設的な未来

「こちらタートル3、エリア13に到着した」

「こちら管制室、回線状況はクリア」

通信用のレーザー回線は正常に機能していた。私は一人乗りの小型潜航艇タートル3でエリア13に向かっていた。AIが機器類を監視する以外は操縦はすべて人間の判断で行う。

深海ブルドーザーの問題がAIにある以上、AI制御の潜航艇を使うことはできず、昔ながらの手動操縦が可能な潜航艇はこれしかないのだ。ほとんど出番のない潜航艇だが、いまこうして活躍している。

タートル3は特殊ガラスの球体に推進機が取り付けられたような単純な形状だが、それでも作業用のロボットアームは2本装備されていた。汎用性はそこそこ高いのだ。

タートル3には、ブルドーザーにはない化学センサーも装備されていた。南鳥島1号が周辺海域の海洋環境に影響を及ぼさないように、海水をモニターするためだ。小型なので冷却材の搭載量は乏しいが、もともと長時間活動する機材ではない。緊急時にバラストを投棄すれば、高温領域からは脱出できる。

深海で植生が乏しい環境で、なおかつ超臨界水が広範囲に広がっていたこの作業エリアには、そもそも生命は存在していない。微生物に至るまで有機分子のレベルにまで分解されるからだ。

ただ環境アセスメントの観点から、分解された大量の有機物で再利用しきれない余剰分も然るべき領域に蓄積する必要があった。そうした分子を含む海水温は100度近い熱を保ちながら、海底の谷底に誘導されていた。この海底渓谷がエリア13だ。

この海水も将来的に利用する。温度さえ冷やせば有機分子に富んだこの海水は、海上に戻せばプランクトンの餌となり、豊富な漁場がそこに生まれる。

もちろん赤潮を招かないように細心の注意を払ってのことだ。南鳥島1号ではすでに実験は行われており、試験水域は豊富な漁場となっている。

潜航艇のモニターは、エリア13の海水中に有機分子が豊富に含まれていることが示されている。潜航艇のライトを点灯しても、特に異変は観測できない。

通常の深海底では堆積したマリンスノーなどにより視界が混濁するのが常であるが、エリア13ではそうしたものも分解され、海水は透明度を維持している。

エリア全体が薄い金属箔で覆われているような構造で、外部からの海水に混入は起こらないように設計されているためだ。それもあってこの海底空間の海水には微生物はいない。エリア13全体が殺菌されているようなものだからだ。

それだけにレーザーレーダーの反応が現れたとき、私は自分の目が信じられなかった。水中に突如として差し渡し数メートルの生物の姿が浮かび上がったからだ。形状は蛇もしくは体長のある魚と思われた。

深海のこんな場所に、あんな生物が現れたことだけでも驚きだが、絶対にないとも言えない。我々とて深海生物のすべてを掌握しているわけではない。

しかし、つぎに起きたことはまるで説明がつかなかった。レーザーレーダーが捕捉した巨大生物が次の瞬間消えたのだ。

「馬鹿な・・・」

そうとしか言えなかった。潜航艇の照明が作る光芒の中にも巨大生物の姿はない。ただ海水の透明度に変化が生じたように見えた。だがそれだけではなかった。レーザーレーダーがタートル3の周囲に、潜航艇を飲み込みかねないほどの巨大な何かが存在すると報告した。確かに光に映し出される海水は、先程までと違って見える。まるで幽霊のように半透明の何かが漂っている。

そして潜航艇のセンサーは艇内の温度上昇を示していた。冷却材はまだ十分にあるのに、温度が上がる。冷却機構にトラブルが生じている。

私はあることに気がついた。そして冷却システムを止める。艇内の温度は生命に危険なほど上昇し始める。それでも私は海水のサンプルを回収すると、冷却システムを切ったままエリア13を離れた。基地に戻ってから医者から、あと3分遅ければ命にかかわったと叱責された。だが幽霊の謎は解けた。

「つまり、こういうこと?エリア13は無菌状態ではなく、何らかの微生物が紛れ込んだ。それが深海ブルドーザのAIを混乱させたと」

画面の向こうで青田の当惑する表情が見えた。

「鍵は冷却材だ。あの微生物は代謝を行うのに、海水温の温度差を利用していたわけだ。周囲がお湯でも、温度差がなければ活用できない。そこに冷却材で冷やされた海水が流れれば、温度差が生じて、代謝が進む。そこに微生物が群がる。微生物のコロニーはそれとわからなければAIには巨大な生物と認識される。しかし、群れが散ったら消えてしまう。幽霊が消えるように」

「そんな微生物いるの?」

「サンプルはとった。いまラボで分析しているところだ」

そのタイミングで分析報告が私と青田のところに届く。それは信じがたいものだった。

『問題の微生物は既知のいずれにも属さない。エリア13に蓄積された有機物と熱による化学進化により、あの領域で誕生したものである』

すでに南鳥島1号のネットワークはこの大発見についての情報交換でパンクしかねない有様だった。

「これでこの海中都市の正しさが証明できたな」

「どういうこと?」と青田。

「我々のプロジェクトは海洋生物の多様性維持を最終的な目的としている。だから考えてみろよ。新しい生命の誕生に匹敵する生物多様性はないじゃないか」

ショートショート
林 譲治(はやし じょうじ)
1962年2月 北海道生まれ。SF作家。
臨床検査技師を経て、1995年『大日本帝国欧州電撃作戦』(共著)で作家デビュー。
2000年以降は、『ウロボロスの波動』『ストリンガーの沈黙』と続く《AADD》シリーズや『小惑星2162DSの謎』(岩崎書店)。最新刊は『大日本帝国の銀河」シリーズ』(早川書房)。
なお『星系出雲の兵站』シリーズ(早川書房)にて第41回 日本SF大賞受賞。
家族は妻および猫(ラグドール)のコタロウ。
イラスト
海野 螢(うんの ほたる)
東京都出身。漫画家。
漫画家デビュー前にデザイナーとして活動後、1998年「Paikuuパイク」にて『われはロボット』でデビュー。
1999年『オヤスミナサイ』でアフタヌーン四季大賞を受賞。
2014年、星雲賞アート部門にノミネート。
2016年、星雲賞コミック部門に『はごろも姫』がノミネート。
代表作に『めもり星人』『時計じかけのシズク』『はごろも姫』等。装画に梶尾真治『妖怪スタジアム』、ピーター・ワッツ『神は全てをお見通しである』等。
作中に関連するシミズの技術
シミズドリーム:深海未来都市構想 OCEAN SPIRAL