清水建設と日本SF作家クラブのコラボレーション企画「建設的な未来」は、これからの社会に起こりうる事柄に対する、よりよい未来の「建設」に向けて、私たちができるかも知れないこと、また、乗り越えた先にあるかも知れない世界をテーマにしたショートショートです。
第15話は伊野 隆之さんの『翼は藍色の空を飛ぶ』です。お楽しみください。
第15話
翼は藍色の空を飛ぶ
伊野 隆之
水無月は座席のディスプレイで、コックピットからの風景を見ていた。小さな芥子粒のようだった成層圏エアポートが、すでにイトマキエイのような形になって見えている。
「せっかくの休暇なのに、すぐに地表に降りないなんて、もったいなくないですか?」
横には部下の菊池がいる。入社して4年目の菊池は、低軌道と静止軌道の間を結ぶ遷移軌道衛星の建設チームで一番若い。
「素通りの方がもったいないさ。世界一周の機会なんて滅多にないぞ」
水無月は、1ヶ月の休暇のうち、最初の一週間を赤道上を飛行する成層圏エアポートで過ごすことにしていた。
「上では、もう、何百周もしてますよ」
菊池の言葉に、水無月は苦笑する。遷移軌道衛星は11時間弱で地球を周回しており、菊池の言葉は、これ以上ないくらいに正しい。
「訂正。世界一周のフライトだったな」
成層圏はまだ地球の一部だ。その証拠に成層圏エアポートで見る空は、宇宙で見るような漆黒の闇ではない。
「そう言えば、先輩たちが作ったんですよね」
水無月は、今の菊池と同じくらいの年齢の頃から、10年以上にわたって成層圏エアポートの建築に関わっていた。全幅900メートルにも及ぶ成層圏エアポートは文字通り成層圏を飛ぶ空港で、地表から飛行機で到達することができるし、衛星軌道との間は、今、乗っている低軌道シャトルがつないでいる。成層圏エアポートによって地球と宇宙は近くなった。
「ああそうだ。宿泊施設もあるから、ゆっくりできるぞ」
それに、水無月には会うべき人がいた。
「老後の楽しみに取っておきますよ。その頃には地球はもっときれいになってるでしょうから」
菊池の言うとおり、人類の生活は変わってきている。宇宙からも見える新大陸と言われた海洋プラスチックの処理も進んでいた。
「それもいいかも知れないな」
水無月が言い終わるのと同時にアナウンスが流れた。成層圏エアポートとシャトルとの速度差は大きい。空気の希薄な成層圏最上部ではパラシュートは使えず、着地は空母に着艦する戦闘機のように、アレスティングギアでの急制動になる。水無月は、6点留めのシートベルトを留め、ヘッドホルダーに頭を固定した。
10、9、8・・・。
カウントダウンが始まる。
・・・3、2、1、ゼロ。
急制動。成層圏エアポートのランディングレーンに張られたワイヤーに、シャトルのフックが引っかかった、はずだった。
けれど・・・。
違和感を感じた水無月は、オーバーランに気づく。いつもなら、目の前のディスプレイに映し出されているランディングレーンが見えない。
高度5万メートルの藍色の空だけだ。
「・・・えっ?」
思わず漏らした声に重なるように、シャトルが激しく揺れた
* * * *
米国にいる田上のプレゼンが終わり、会議室はざわついていた。
「本当に、うちの会社が手を挙げて大丈夫なんですか?うちは建設会社ですよ」
入社4年目の自分が声を上げなくても、誰かが質問しただろう。でも、水無月は声を上げるべきだと思った。田上の提案は、戦略技術研究室の中ですら検討されていない。
「じゃあ、聞くが、どこの航空機メーカーが、全幅900メートルの構造物を作れるって言うんだ?スケールは明らかにこっちの領域だ」
実際に飛んだことのある世界最大の飛行機は、全幅117メートルのストラトローンチで、それに比べても今回のプランはけた違いだ。
「でも空を飛ぶんですよね。空飛ぶ建築物なんて、ありですか?」
水無月の言葉に、田上はニヤリと笑った。
「宇宙ホテルの技術提案を出したのは誰だったっけな?あれも、空を飛ぶんじゃないか?」
会議には経営幹部も参加している。衛星軌道上の構造物は、飛んでいるのではなく落ち続けていると言っても議論を混乱させるだけだろう。
「でも、それとこれとは」
「すまん、余計なことだったな。実は、ソコロフ教授からのご指名だ。断れる話じゃないだろ?」
会議室のざわめきが大きくなった。ロシア系アメリカ人のイゴール・ソコロフは、各国の宇宙開発政策に大きな影響力がある航空宇宙学会の重鎮だ。田上の出張目的の一つが、ソコロフ博士との面談による情報収集だった。
「もしかしたら、あの時の話ですか?」
水無月の言葉に田上が頷く。
「あの時?」
技術戦略を担当する時田技術統括の反応に、水無月は思わず緊張する。
「ソコロフ博士は、田上さんの案内で、アルバトロスセンターを訪問してます。私も同席させていただきました」
鉄骨の骨組みをステンレス鋼板で覆ったアルバトロスセンターは、アホウドリと言うより、プテラノドンが翼を伏せたような形をしていた。中央に、海峡に臨む展望台があり、全体はたった4本の柱で支えられている。全幅400メートル、奥行き170メートルの大空間は、展示会や国際会議に使われている。
「水無月君に、マルチスーパーウイングの説明をしてもらったんですよ。そうしたら・・・」
マルチスーパーウイングテクノロジーは、元々は構造材の自重によるたわみを高張力ワイヤーで補正するスーパーウイング構法を発展させたもので、矩形の建造物にしか適応できなかった構法を、複雑形状に適用できるようにしたものだ。その上、ワイヤーの張力制御によって、風などの外力の変化にも対応できる。実際、あの時はちょうど風が弱まり、ソコロフ博士の目の前で、プテラノドンは伏せた翼を力強く持ち上げて見せたのだ。
「あのウイングは、飛べるのかと聞かれました・・・」
水無月は、自分がどう答えたか、はっきりと覚えている。
「飛べるとでも答えたのか?」
驚いたように時田が尋ねた。
「飛び続けることはできても、離着陸は無理だとお答えしました」
満足そうなソコロフ博士の様子が、水無月の脳裏によみがえる。
スクリーンでは田上が大きく頷いていた。確かに、アルバトロスセンターでは、張り巡らされた高張力ワイヤーにかかる張力をモーターで制御し、屋根部分を変形させることで、刻々と変化する風の影響をキャンセルしている。ただ、それを飛ばすとなれば話は別で、次元の違う難しさになる。
「組立はどうする?」
技術統括が尋ねた。飛行体をいくつかのモジュールに分割し、飛行中に接合するしかないが、アクロバットのような作業に、水無月は目の前がくらくらするような感覚を覚えた。
「スパイダーホッパーが使えると考えてます」
田上が言及したのは高所作業用のロボットだ。強力な吸着盤を使い、垂直面やオーバーハングでも作業できるロボットは、高層建築の現場作業などで使われているが、気圧の低い高度1万メートルで使うには、再設計が必要だろう。
「どうやって成層圏に運ぶんだ?」
技術統括の質問に対し、田上は気球やロケットを使う方法を説明する。
「どれにしても、斬新な手法になりますね」
難しいが、不可能だと断言できるものはない。
「その通り。挑戦のしがいがあるだろう?」
田上がスクリーン越しに水無月に向けて微笑み、それを見た技術統括が頷いた。