2021.02.15

建設的な未来(日本SF作家クラブ)

コラボレーション企画
建設的な未来

帰国した田上をチーム長とするプロジェクトチームが立ち上がった。もちろん、水無月もメンバーの一人として参加している。

ソコロフ教授が構想した成層圏エアポートは、高度1万から5万メートルの間の成層圏を飛行する巨大な飛行体だった。低い位置で飛行機の飛行場として機能し、最高高度ではシャトルの発射基地となる。成層圏の最上部では、小さな空気抵抗と、成層圏エアポート自体の速度によって、シャトルの軌道投入エネルギーを大幅に削減できるし、再突入に際してのシャトルの耐熱性や堅牢性の要求が低くなることから、機体のコストも低減される。問題は巨大な飛行体をどうやって作り、飛ばし続けるかだった。

「できない理由は見つかったか?」

水無月は、ソコロフ教授から送られてきた水蒸気ジェットエンジンの論文を読んでいた。水蒸気を噴射剤とするジェットエンジンは、燃料を燃やすのではなく、水の気化による急激な膨張を利用する。

「今のところなにも」

気圧の低い成層圏で、水は気化によって6000倍以上に膨張する。沸点も下がるため、噴射に必要なエネルギーも少ない。つまり、水蒸気ジェットは、成層圏では地表よりも有利だった。

「組立計画も見てくれ。全体を見れる奴はそんなにいないからな」

現時点の計画では、成層圏エアポートは30を超えるモジュールから組み立てることになっていた。メインとなる8つのモジュールは、水蒸気ジェットエンジンを備えた翼を持つ巨大な飛行船で、大量の水素ガスで浮上する。成層圏の最下部を低速で飛行しながら、連結器を備えた翼端を接合し、成層圏エアポートの基礎構造を形成する。この基礎構造に遠隔操作で稼働する数百体のスパイダーホッパーが張り巡らす高張力ワイヤーは、飛行船の相互の位置関係を制御し、無数のガススプリングとともに、局所への応力集中を避けるために使われる。その時点で、8機の飛行船が、マルチスーパーウイングテクノロジーを適用した一つの巨大な飛行体になる。

「全部は無理ですよ」

張り巡らされたワイヤーは、成層圏エアポートの外殻を作るための足場にもなる。飛行船で運ばれた追加モジュールを接続し、外殻が完成した次の段階は内部の作り替えだ。

「おまえしかいないんだがな」

無理難題を押しつけるときの決めぜりふだ。水無月には、できない理由は思いつかないけれど、できるという確信もなかった。

「田上さんがいます」

ぶっきらぼうな水無月の回答に田上は苦笑した。

「俺は、調整業務が忙しい。代わりにやるか?」

計画が動き出せば、コンソーシアムを組むところから始めなければならない。関係者の間を飛び回り、説明し、説得し、宥め賺して計画を前に進める役割だ。それよりは、どれだけ難しくとも、計画の細部を詰める方がまだましだ。

水無月は、腹をくくった。

 * * * *

成層圏エアポートは、徐々に高度を下げつつあった。水無月は、翼の前面にある展望ラウンジで菊池と一緒にぬるいコーヒーを飲んでいる。眼下に太平洋を見下ろす特等席だ。

「すまん、待たせた」

真っ白な髪になった田上だった。

「原因は分かったんですか?」

挨拶をすっ飛ばして、水無月が聞いた。田上は成層圏エアポートの運用開始直前に、運営会社であるストラトトランジット社に転籍している。会社にいたらとっくに定年だが、ストラトトランジット社ではまだ現役だ。

「制動装置だ。うまくワイヤが繰り出されずに、ぶち切れた」

そのままならシャトルは墜ちていくしかない。空母に着艦する戦闘機とは違い、やり直しはきかないのだ。

「まったく、あせりましたよ」

水無月の言葉に、田上は笑った。

「おまえが付けた装置があって良かったよ。使ったのは今回が初めてだがな」

2人の会話を聞いていた菊池が、口を挟む。

「どういうことですか?」

「あ、うちの菊池です。遷移軌道衛星の施工を手伝わせてます。で、こちらは・・・」

「田上さんですね。いろいろと伺ってます」

菊池が差し出した手を田上はがっちりと握り返した。

「つまり、この成層圏エアポートを作ったときのおまえのようなものだな」

田上の指摘は当たっている。水無月は菊池に技術的な詰めをやらせていた。

「まあ、そんなもんです」

成層圏エアポートに比べたら、遷移軌道衛星の建設は簡単だ。もう少し難しいチャレンジをさせたいと水無月は思う。

「こいつは優秀だから、盗めるものは盗んでおけ」

田上の言葉は菊池に向けたものだ。

「いろいろ勉強させていただいてます。ところで、水無月さんが付けた装置というのは?」

田上に促され、水無月は緊急捕捉装置について説明する。要は、アレスティングギアによる制動に異常があった場合、シャトルの翼に向けて自動的に制動用ワイヤーが付いた銛を射出し、シャトルを捕捉する装置だ。

「乱暴なんですね」

菊池の言葉に、水無月は苦笑し、田上は声を上げて笑った。確かにシャトルの翼の修理が必要になるが、致命的な事故を起こすよりはましだ。

「ところで、今回はしばらく滞在するんだろうな」

そう切り出した田上に、水無月は頷く。

「何があるんですか?」

身を乗り出した菊池に田上が答える。

「水くみの実験だよ。成層圏の最下層を飛んでいる間に、凝集機を対流圏に下ろし、雲から水を集める。わざわざ地上から運ぶのは大変だからな」

「でも、なぜそれを私に?」

水無月の問いに、田上はニヤリとした。

「また、ソコロフ教授だ。年寄りのくせに元気でな、外惑星探査計画にも首を突っ込んでる」

「もう、とっくに引退されたと思ってました」

「棺桶に入るまでは引退しないな。今度は木星からのヘリウム採取を考えてる」

「もしかして、それって・・・」

菊池の反応に、いい勘をしていると水無月は思う。凝集機による水の採取技術は、木星大気の深部からのヘリウム採取にも使えるのだろう。

「この成層圏エアポートの木星版みたいなものを計画してるらしい。もちろん、建設がいつになるかはわからないが、具体的な計画の策定には経験のあるパートナーが必要だそうだ」

「何で、教えてくれなかったんですか?」

不満そうな菊池。

「俺だって、今、聞いたところだ。それに休暇中だろ?」

 眼下には対流圏の上層部を流れる筋状の雲が見えていた。水無月は、つい、雲との距離や、雲の含水率、凝集器や凝集器を吊り下げるテザーの重量、空気抵抗といったパラメータを考えている。この地球ですら数千メートル、木星でのスケールは文字通り桁が違うはずだ。

ふと気づくと、菊池が真剣な眼差しで雲を見ていた。

「そろそろ搭乗時間じゃないのか?」

水無月が声をかける。

「あ、もうそんな時間・・・」

慌てて搭乗手続きに向かう菊池の背中を、田上が頼もしそうに見ていた。

「使えそうじゃないか」

田上の言葉に、水無月はしっかりと頷いた。

ショートショート
伊野 隆之(いの たかゆき)
1961年 新潟県上越市生まれ。
2009年 経済産業省在職中に「森の言葉/森への飛翔」で第11回日本SF新人賞を受賞し、翌2010年に受賞作を改題した『樹環惑星-ダイビング・オパリア』を刊行。
2017年 タイ王国ホアヒンに移住。
イラスト
加藤 直之(かとう なおゆき)
SFイラストレーター。SF小説のカバーイラストを中心に、作品を描きあげる過程で科学、物理、工学、工芸に興味を持ち、取材のために関係イベントにもよく顔を出す。
趣味は読書と自転車。乗るだけでなくパーツの改造をしたりすることも多く、金属やカーボンの素材を切ったり削ったりするのが好き。最近はプラネタリウムのドーム投影作品にも挑戦している。
作中に関連するシミズの技術
開発者ストーリー:大きな翼、再び ― 甦った構法をさらに進化させた男たち