清水建設と日本SF作家クラブのコラボレーション企画「建設的な未来」は、これからの社会に起こりうる事柄に対する、よりよい未来の「建設」に向けて、私たちができるかも知れないこと、また、乗り越えた先にあるかも知れない世界をテーマにしたショートショートです。
第10話は渡邊利道さんの『あらしの夜に』です。お楽しみください。
第10話
あらしの夜に
渡邊 利道
突然閃光が走った。
「えっ」
鈍い衝撃とともにモニター画面が水煙で閉ざされ、コントロール不能になった機体が急速に深度を下げる。
〈ああ〜〜ーーーーっ〉
アクアが情けない声を出す。こんな声を出す機能まであるのかと妙に冷静な気分で杉岡は思った。
* * * *
台風が来ていた。
空を覆わんばかりの高波だが、作業母船の中にはほとんど影響していない。杉岡はマグカップのコーヒーの表面が少しも動いていないのに感心する。
窓外には、暗闇に浮かぶ海洋プラント施設が見える。
夏の終わりにフィリピン沖で発生した台風16号が、日本海から急速に進路を変えて沖縄の海までやってきたのだ。
雨と風の音に混じってヘリの爆音が聞こえる。
新たな海洋温度差発電の実証実験のため、沖縄の東140キロメートル沖に建設された海洋プラントは、発電の他にも、水深250メートル前後の海洋深層水による漁場形成の実験、清浄な海洋深層水の高メンテナンス性を利用した海中のリチウム回収や洋上での水素製造といったさまざまな用途が計画されている複合施設だ。
杉岡は海中建設の現場20年のベテランだったが、この新しい現場では驚かされることが少なくなかった。海中での作業には、現場のさまざまなデータを3Dで可視化するBIM/CIM技術に加え、波や海洋生物の動きや海水温度などつねに物理的に変動する外界を計算に入れる精妙な4Dモデリングが必要とされた。プラントの周囲から海中に張り巡らされた数百のセンサーで収集したデータを作業母船のコンピュータで分析し現場作業員やロボットに情報を伝達する。膨大な情報量を処理するため、スーパーコンピュータの小型化が実現してついに実現した技術で、予測のつかない動きをする海洋をきめ細かに察知する機械たちの動きは杉岡の予想を遥かに超えてスムーズだった。もっとも万事順調とはいかないこともあった。
昨日、今日は台風のため作業は中止である。しばらくあいつの声を聞かなくて済んでるなと、杉岡はぼんやり思いコーヒーに口をつけた。
と、会社から支給されている端末のアラートが点灯した。
嫌な予感がした。
* * * *
そういう予感は必ず的中する。
集中制御室には上司の南條と海上保安庁の職員がいて、杉岡はさっきのヘリの音が海上保安庁のものだと知った。
気象情報を無視した間抜けな漁船が遭難し、海上保安庁が乗員を全員救助したものの、放置された船は底部が大きく破損しまもなく沈没する。すでにデータ収集用の浮体が破壊されていたが、それ以上に建設途中の肥沃化装置の仮水槽や、温度差発電の冷水取水用高密度ポリエチレン管などが傷つけられるのはなんとしても避けたい。
杉岡が操作する海洋作業ロボット、トーク・アクアを使って、コントロールを失った密漁船を確保し、海洋プラント設備一式から遠ざけるよう処理してもらいたい、というのが南條の意向だった。
「それは、・・・ちょっと無茶ですよ」と、半ば呆れながら杉岡は言った。
「いやあ、大丈夫でしょ、名コンビだから」と南條。
いつもこういう言い方をするのが、杉岡は気に入らない。
トーク・アクアは今回のプロジェクトから導入されたロボットだ。従来のロボットは人間が直接操作しない自律型AIロボットで、このロボ・アクア・シリーズは、作業母船から発信される情報と連携・協働する建設システムの一部である。トーク・アクアは、これまでどうしても単純作業に偏ってきていたロボットを、人間の知性と連携させることでより繊細で柔軟なものに向上させるべく導入された。
外観では直径5メートルほどの球状の躯体に、上下左右四本のアームが付いた一人乗り作業艇だったが、会話型AIが搭載されていて、熟練した作業者の操作技術をAIに学習させる目的が付されていた。杉岡が現場でトーク・アクアを駆動すればするほど、作業母船から提供される現場データと杉岡の動きの相関を学習し、より状況に即した判断が可能になるというわけだ。
「いや、危険すぎるでしょう」
杉岡は食い下がったが、南條は台風の下の海は海流速度が上がっているだけでさして危険ではないと言い、海上保安庁もいることだし、もちろん危険手当も出るよ、と気楽に付け加えた。
* * * *
海に入る時は波も高くかなり怖かったが、10メートルほど降下すると、海流速度はそれなりに鋭いものの、海の中は静かだった。台風のために深海の水が上昇し、海水温度が低下、海水の透明度が増して夜だったがライトの明かりだけでモニターの視界は良好だ。
〈イレギュラーな出勤ですね〉
アクアが言った。あいかわらずのんびりした口調で、杉岡はやはり軽くイライラする。こいつに人間との会話を学習させた本社の研究者連中はきっと嫌味な奴らだったに違いない。
「ああ、非常事態なんだとよ」
いまだに機械相手にどう受け答えするべきか迷っている自分にも苛立つ。AIは海の状況だけではなく、呼吸数や脈拍、体温や発汗量などを常時計測しているので、このモヤモヤもすっかりわかっているのかもしれないと思う。
〈杉岡さんの体調は通常通りです〉
「そうか」
考えすぎだな、と杉岡は思い直した。機械に「気持ち」なんてものはわからない。
人間とAIが協働するのに、なぜ会話が介在しなければならないのか。南條というか会社の上からの説明では、いずれAIは人間の判断能力を超えた行動をとるようになる可能性があり、そのために人間と言語による相互理解可能なプロトコルを開発しておく必要があるのだという。
しかし、杉岡はどうもアクアが苦手だった。
なるほどAIには「知性」はあるだろう。しかし「知性」と「人格」はまったく別物だ。AIを理解のための言語であれば、そもそもデータを分析するための数学でいいわけで、わざわざ自然言語を介入させる意味はないのではないか。杉岡は長年現場でさまざまな機械や道具を用いてきたが会話なしにその道具の性能や性質はじゅうぶん理解できた。それは機械が自分の手足の延長のように感じられる種類の理解で、言語はそういう感覚を阻害するものだった。だが南條は、いや、むしろそれが危険なんだよと言ったものだった。
身体にしろ機械にしろ、そんな自然なものじゃないぞ、と。
「ああ、とっとと行ってとっとと終わらせるぞ」
〈了解〉
アクアが短く答えたが、杉岡はこんなの独り言だと思う。こんな声なんて、ない方がよっぽど自然に動かせるだろう。
海上保安庁が遭難船に取り付けたビーコンが、ゆっくり下に移動しているのがレーダーで確認できた。ほぼ水深100メートル。建設途中の海洋肥沃化装置の仮水槽は水深200メートル前後に設置されているので、少々急がねばならない。
〈障害物は見当たりません〉
アクアが言った。こっちの質問を先回りして答える格好だ。「ああ」と杉岡は短く答えた。
「目標までお前がやってくれ」
〈了解〉
一拍置いて、明らかに機体の動きが滑らかになる。いまや通常運転では杉岡とは比較にならない操作技術をアクアは習得していた。
ほどなくしてモニターに沈んでいく船体が見えた。
杉岡の運転に切り替える。
「よし、捕まえるぞ」
杉岡はアーム操作用のハンドレバーを握る。同時にアクアが機体移動を細かいスラスター噴射に変える。
「オッケー」
人間の手は二本しかないが、AIとの共同作業が可能なアクアでは四本のアームが同時に動く。すでに基本動作を教えている場合はアクアが主体となって人間は補助に回るが、今回のようなイレギュラーなケースでは杉岡が作業を主導する。とはいえ、すでに抜け殻になった船は、繊維強化プラスチック(FRP)とアルミニウム合金製でさして重いわけでもない。アクアが操作するアームで掴んで船の動きを止め、杉岡は落ち着いてワイヤーを結びつけるとしっかり固定する。アクアのアームを外して細かいスラスター噴射で位置を決め、エンジンスクリューで海洋プラントから離れるようにゆっくりゆっくり船体を曳いていく。
「これで、じゅうぶん離れた距離まで移動したらワイヤーを外せばいい」
杉岡が言ったそのとき、突然閃光が走った。