2020.08.27

建設的な未来(日本SF作家クラブ)

コラボレーション企画
建設的な未来

 * * * *

水深800メートル。緩慢な海流の中で機体はようやく安定した。モニターは深海の闇に閉ざされている。

〈おそらく、ですが、船が爆発したんだと思われます〉

アクアが淡々と言った。さっきの情けない声が嘘のようだ。

普通の漁船と聞いていたが、ヤクザか工作員の類いだったのか・・・と考えかけ、こんなところで推理したって結論が出るわけがないと思う。

爆発で船体は半分に裂けて流されていったようだった。

〈たぶん設備を破壊する恐れはないでしょう〉

海流の動きなどからそう予想できるらしい。

こっちの機体のほうは、アクアがざっとチェックしたところ、アーム、スクリュー、スラスターに一部破損が出ているらしい。つまり、現在致命的な故障はないものの、自力で作業母船に戻ることは難しいというわけだった。

〈まあ、酸素はたっぷりあります。台風の影響もありますし、救援が来るのは明日の朝になるでしょう〉

「まあ、しょうがないか」

杉岡はわりとあきらめが早いほうだった。

〈音楽でもかけましょうか?〉

「いや、いいよ」

杉岡は目を閉じた。とにかく何もすることはないのだ。

〈眠りますか?〉

「ああ、そうだな」

それがいい。アクアが機体内部の照明を少し暗くする。

しばらくじっとしていると、なんとなく深海の海の闇を想像し、身体が冷えてくるようだった。無音の中で自分の呼吸音がだんだん大きくなってくるようで、杉岡は大きく息を吸って、吐いた。呼吸を整えようと思ったのだが、かえって息苦しくなってきて、何度も深呼吸を繰り返してしまう。心なしか周囲の空気の圧力が強くなっている気がする。

息が止まった。身体に棒が入ったように突っ張って、胸の中心に針が突き刺さってくるように痛い。

機体内部の明かりが戻った。

〈脈拍210。急激に上昇しています。私の声が聞こえますか?〉

がくがく、と痙攣するように杉岡はうなずいた。

〈声が出ませんか? パニック発作の可能性が高いですね。シートを倒します。落ち着いて、リラックスしてください〉

シートの空気圧が緩み、仰向けに寝かされた。アクアは杉岡の身体状況について脈拍や血圧、血中酸素濃度、体温、発汗量などを冷静に数値を出して説明する。

上部の保健ボックスから酸素吸入器が落ちてくる。

〈口に当ててください。数値的には身動きがまったくできないことはないはずです〉

冷静な声に、何かを考える余裕もなく杉岡は従った。

〈エコノミー症候群の疑いもありますね。呼吸を整えていきましょう〉

酸素が肺から全身に染み込んでいくようだった。アクアが並べる数値が次第に落ち着いたもになっていく。

「助かったよ。びっくりしたな」

ようやく人心地ついて杉岡は言った。

〈こういう経験は初めてですか?〉

「そうだな」

生来丈夫なたちで病気や怪我にも縁がなく過ごしてきたので、自分の身体が勝手に暴走する経験は衝撃的だった。

〈この業務は最初からストレスが強かったですからね。杉岡さんは長い現場経験の持ち主で意識では冷静だったわけですが、アクシンデントで身体の方が先に参ってしまったんでしょう〉

「なるほどな・・・それで、どうしてすぐに治ったんだ?」

〈まず酸素と姿勢の修正によって身体の負荷が減ったから。さらに私が計測した数値で、異常が確認できるけれどもさほど重大な事態ではないと杉岡さんの理性が判断されたからかと。あと、数値を音声で報告したのが良かったかもしれません〉

「音声・・・声か」

〈はい。数字や文字を見るよりも、他者から呼びかけられる声の方が、より自己の輪郭がはっきりするものなので〉 

身体も機械も自然なものではない、という南條の言葉を思い出す。

機械(道具)が、自分に馴染んでくると身体の延長のように感じられるのは、身体がはじめからある部分では意識の外にあるからではないか。杉岡は自分の、呼吸に合わせてゆっくり上下している胸と腹を見下ろした。呼吸だって、意識してやっているわけじゃない、というかさっき無理に意識してダメになったばかりだ。

身体には身体の思考というべきものがあり、AIが語るのはそんな思考の声なのだ。

「・・・何か音楽でもかけてくれよ」

あらかじめ杉岡の嗜好についてのデータはアクアに共有されていた。

優しいギターの音が流れはじめ、杉岡はもう一度目を閉じる。

南條のニヤニヤ笑いが目に浮かぶ。くそ、特別手当をしこたまふんだくってやる。

「明日はまた面倒が多そうだが、・・・頼むぜ相棒」

〈了解〉

いつも通りの平坦な口調だったが、心なしか親しみがこもっているように杉岡には思えた。

ショートショート
渡邊 利道(わたなべ としみち)
1969年 愛知県生まれ、大阪育ち。
2011年 「独身者たちの宴 上田早夕里『華竜の宮』論」で第7回日本SF評論賞〈優秀賞〉を受賞。
2012年 『エヌ氏』で第3回創元SF短編賞〈飛浩隆賞〉を受賞。
イラスト
麻宮騎亜(あさみや きあ)
1963年 岩手県北上市生まれ。
アニメーターを経て、1987年に『コンプティーク』(角川書店)に掲載された「神星記ヴァグランツ」で漫画家としてデビュー。
画集に『麻宮騎亜画集』『麻宮騎亜 仮面ライダーフォーゼ デザインワークス』『STUDIO TRON ART BOOK 1993』などがある。
代表作「サイレントメビウス」「快傑蒸気探偵団」「コレクター・ユイ」「遊撃宇宙船艦ナデシコ」「彼女のカレラ」他。
作中に関連するシミズの技術
技術・ソリューション:3D無人化施工支援システム