清水建設と日本SF作家クラブのコラボレーション企画「建設的な未来」は、これからの社会に起こりうる事柄に対する、よりよい未来の「建設」に向けて、私たちができるかも知れないこと、また、乗り越えた先にあるかも知れない世界をテーマにしたショートショートです。
第6話は藤崎慎吾さんの『ワルツを踊る、ワイングラス』です。お楽しみください。
第6話
ワルツを踊る、ワイングラス
藤崎 慎吾
私の部屋の壁から手が生え始めたのは、3日くらい前のことだ。ウォークイン・クローゼットのいちばん奥にある壁――そこに最初は5本の突起が、横向きのつらら石(鍾乳石)みたいに突きだしていた。
「あれ? 何だろ」めったに着ない、よそ行きのブラウスを取りに来て気づいた私は、ぼんやりと考えた「瘤みたいなものかなあ」
そして、すぐに忘れてしまった。
今やつらら石は関節のある指そっくりの形になり、掌らしき平たい構造物から生えているのを確認できる。
それでも、私はさほど不思議には思わなかった。似たようなことは、身のまわりにしばしば起きている。この部屋では10年前、私が6歳の時、床から木のようなものが生えたこともあった。
盆栽みたいに小さいけれど、枝を伸ばして葉っぱらしきものをつけ、しばらくするとリンゴに似たピンポン玉ほどの果実を実らせた。好奇心にかられた私は、それをひと齧りしたのを覚えている。味は忘れてしまったけれど、かすかな甘味があったかもしれない。
そんなものを食べたってママに知られたら、きっとすぐに医者へ連れていかれただろう。内科じゃない。たぶんメンタルクリニックに。
* * * *
もっとスケールの大きな異変は、数ヵ月前から起きている。海の中から細長くて緑色をした塔のようなものが、空へ向けて伸び続けているのだ。海面からの高さは、そろそろ300mに達しつつある。
私と両親、そして弟が住んでいる居住塔も最上階は300mくらいだから、このままだと抜かれてしまうだろう。
緑の塔は海底下にあるアンカーから伸びているらしい。つまり水深のぶんを足せば、その長さは400m近くにもなる。
海底の泥から塔が姿を現した時は、そのうち海面に達して大きなフロートを広げ、新しい街の基盤ができるのだろうと思われていた。それは、いつものことなのだ。5年に1度くらいの周期で、そういうことが起きている。
池や沼のハスを思い浮かべてほしい。次に、それが巨大化して海に繁茂しているところを想像してほしい。「レンコン」とも呼ばれるその地下茎がアンカーだ。そして直径1kmくらいに広げられた葉がフロートに当たる。居住塔は、その上に10基ほど建っている。
これが私たちの「街」で、こういう構造体は「ロータス・シティ」と呼ばれていた。まるで生きている本物のハスみたいに、それは成長し、広がっていく。
私や家族が住んでいるフロートには〈しおさい〉という名前がついていた。房総半島の沖、約5kmの海面に、それは浮かんでいる。いちばん近い隣のフロートは〈ゆうなぎ〉で、北東方向に3kmほど離れていた。緑の塔は、ちょうどその中間あたりに聳えている。
もし、そこに新しいフロートができるなら、名前は〈うみなり〉なんかがいいだろうと私は思っていた。
でも、たいていは〈さざなみ〉とか、穏やかなイメージの言葉が選ばれる。フロートは大時化でもひっくり返ることはないし、津波も下を通り抜けていくだけだ。そう知ってはいても、やっぱり安定感のある名前をつけたくなるのは、人情なのだろう。
「海鳴り」は荒れた海を想像させるから、たぶん提案しても却下だ。だけど、たまにはそういうのも、いいんじゃない? あの「ドーン」というような音を聞くと、ちょっとわくわくするし・・・私だけかもしれないけど。
いずれにしても緑の塔がフロートを広げることはなかった。海面を突き破って、そのまま伸び続けている。ステム(茎)の成長異常らしいが、これは想定外なのだと「ロータス・シティ」の開発者たちは、今のところ首をひねっている。
* * * *
壁から手が生えてくるのは、木が生えるのに比べると、さすがに気味が悪かった。ママに相談しようと思ったが、あれこれ考えて、まだ言いだせずにいる。言えばきっとパパか誰かに頼んで、切り落とそうとするだろう。それはそれで何だか・・・痛々しい。
だからクローゼットの服はなるべく手前に寄せて、奥は見ないようにした。それでも気になってしまう時はリビングに移って、趣味の食器づくりにいそしんでいる。そこでは、いつも両親と弟が、それぞれのリクライニングシートに横たわっていた。
3人とも目をつぶっているけど、眠っているわけじゃない。意識は人工知能によって構築された仮想世界「第2日本(Second Japan)」、通称「Jバース(J-verse)」の中にある。脳に埋めこまれた端末で、彼らはそこに没入していた。両親の職場や弟の小学校、商店、遊び場、全てがJバースにある。
リビングには私がJバースにアクセスするためのシートも、ちゃんと用意されていた。だけど、そこに座ることは、めったにない。私は仮想現実(VR)不適合者なのだ。短時間なら大丈夫だが、1時間以上Jバースにいると息苦しくなってくる。だから高校にも通えない。
空気が薄い、と言ったらいいだろうか。もちろんJバースで実際に呼吸しているわけじゃないけど、じゅうぶんな酸素が肺に入っていかない感じ――そういう時はJバースの風景が全て紙細工のように見え、音は糸電話を通したみたいに聞こえる。
昔からそうだったわけじゃない。10歳くらいまでは大丈夫だった。13歳くらいから症状が出始めて、だんだんひどくなっている。カウンセリングを受けたり、薬を飲んだりしても治らなかった。2週間後には大きな病院で、詳しい検査と治療を受けることになっている。
ほとんど身じろぎもしない3人の前で、私はテーブルに並べられた様々なワイングラスを吟味していた。そして気に入ったものをいくつか選ぶと、脱分化装置の中に入れる。あとは全部、処分した。処分といっても捨てるわけじゃない。材料に戻すだけだ。
今は食器も家具も、服や靴でさえ、大半が「分子ロボット(molecular robot)」、略称「モルボット」でできている。私たちの細胞と同じように、タンパク質と核酸(DNAやRNA)、脂質などでできたミクロの「機械」だ。それが無数に集まってお皿になったり、テーブルや椅子になったりしている。
モルボットも生物みたいに突然変異する。だから放っておくと、様々な形や機能をもった食器や家具が、どんどん生まれてくる。私たちは、その中から気に入ったものを選び、そうでないものは、もとの生体物質に戻してしまえばいいだけ。
気に入ったものでも飽きてくれば、脱分化装置に放りこんでしまう。すると食器や家具は形を失って、ぐずぐずの「カルス」という状態になる。そこから、また様々な化学物質や電気刺激で「誘導」してやれば、新たな食器や家具に生まれ変わってくれる。
私が気に入っていたもののカルスからは、再び私好みの食器や家具ができてくる可能性が高い。複数の気に入っていたものを混ぜれば、適当に「交配」して、さらに私の望むようなものになっていく。つまり人為的な「淘汰」によって「進化」してくれる。
普通は気に入ったものを、数日でカルスにしたりすることはない。でも私は数分もたたないうちに、それをやっている。進化を加速するためだ。
時には嫌だけどJバースに入って、役に立ちそうなモルボット用遺伝子を注文したりもする。それをカルスに導入すれば、またちがったものが生まれてくる。
私がつくる食器は特別、変わった形をしているわけじゃない。でも、たいていは動く。
お皿は裏側にあるブラシ状の足でくるくる回るし、コーヒーカップは取っ手の部分が出たり引っこんだりする。スプーンはシャクトリムシみたいにのそのそ這っていくし、フォークは5つに分かれた先端が「グー・チョキ・パー」をする。
ほとんど実用性がないのは承知の上だ。でも面白いし、何よりもママが笑ってくれる。
「何だか百鬼夜行絵巻みたいね」
最初にそう言われた時は、何のことかわからなかった。調べてみると、昔の人が描いた動かない妖怪アニメのようなものらしい。
使い捨てられた様々な古道具が「付喪神」という妖怪になって、長い巻物に行列をつくっている。それこそ調理具や楽器、化粧道具、傘、沓にいたるまでが、ユーモラスに描かれていた。生き生きとして、にぎやかな話し声までが聞こえてきそう。何だか、かわいい。
* * * *
「私、百鬼夜行絵巻の付喪神を全部つくれそうよ」
ある時、Jバースに入ろうとするママをつかまえて、私はそう言った。
「そう、それはすごいわね」ママは脳内端末のコントローラーを手にしながら苦笑した。「でも妖怪みたいなのより、ママはもうちょっとエレガントなのが欲しいな」
「エレガント」私は首を傾げた。「例えば?」
「例えば、そう、ワルツを踊るワイングラスとか」
ママはそう言って、にっこりした。そして「ごめんね、約束があるから」と別の世界へ入ってしまう。いつも通り、私はリビングに一人、取り残された。追いかけて話を続けることはできたけど、どうせ長くはいられないし、こっちの世界にママの関心事はない。
その日から私は、ワルツを踊るワイングラスの制作を始めた。
* * * *
見ないようにしていたものの、壁の手はずっと気になっていた。1週間くらいして、とうとう我慢できなくなった私は、そっとクローゼットの奥を覗いてみた。
一瞬、息が止まる。誰かと目が合ったからだ。
手どころじゃない。頭と両腕のある上半身が、壁から斜めに生えていた。頭には目や鼻、口もついている。どうやら私と同い年くらいの男の子らしい。全体が壁と同じように薄い緑色で、彫像のようにも見えた。でも明らかに、それは動いている。
「だ・・・だっ・・・誰?」
私は悲鳴を上げるべきだったのかもしれない。でも恐怖心より好奇心のほうが、わずかに勝っていた。
男の子は瞳のない目をしばたたかせ、口をもごもごさせた。だけど声は聞こえない。私はちょっとずつ近づいて、ハンガーにかけられた服と服の間から、耳を突きだした。
「ト・・・モ・・・ミ・・・」
かすれた息に混じって聞こえてきたのは、私の名前だった。