「マリ! 聞こえるか、私だ!」
聞き違える筈のない声が、執務室に響いた。
「あなた!」
「安心しろ。私は幽霊でもなければ、こいつは怪物でもない!」
「え?」
「この巨大なシロモノは、私たちの子供だ! ・・・つまり、君の都市と僕の都市との間に生まれた子供なのさ!」
夫の言葉に言葉を失うマリ。その向かいで、父親がうなづいた。
「そうか。それが〈生命都市〉の出した解答か・・・」
年老いた目が遠くを見ながら、
「かつて、私が手がけたこの都市は――かつて〈まったく新しい科学技術を応用した〉と呼ばれたこの深海海底都市は、私の時代の技術の結晶だ。そう・・・この都市は、建築物に生命工学を応用して創りだした〈生命建築〉の集大成――〈生きている〉都市なのだ」
「でも、本当に・・・」
「〈生きている〉からこそ、寿命はある。死は命あるものの定め。天寿というものだ・・・。だが、たとえ個体は死に瀕しても、生物は、新しい生命を遺すことができる。命を次代に引き継ぐことができる」
「本当に・・・生殖活動をしたというの? 都市同士が――」
マリの脳裏に、サンゴの産卵の光景が浮かびあがった。
雌雄同体のサンゴたちが、一斉に産卵と放精を行うあの神秘的な光景・・・。
「まさか・・・最後に交信したあの時――二つの都市が再接近したあの海溝で――」
「どうやら、そうらしい・・・」
夫の声が言った。
「変異生物群に食い荒らされて、私の都市が崩壊しようという寸前に、この子供たちが来てくれた」
子供たち――なるほど、巨大な異形に見えたのは、複数の〈生命都市〉たちが、海中を重なって――情報処理され認識されて――見えた姿だった。
「かれらは、変異生物群を寄せつけない新しい「皮膚」に護られた「身体」を獲得している。君たちも、早くこちらへ――この新しい〈生命都市〉の内部に移住するんだ・・・」
近寄ってくる都市と都市は、「触手」と「触手」で繋がった。
生命素材で創られた深海ゴンドラというわけだった。
「もうひとつ、素晴らしいニュースだ。最初の深海開拓者が造りあげた、あの美しい深海建築は今でも健在だ。海底と地上を繋ぐ架け橋は健在なんだ!われわれは、まず海底平原のファクトリーへ、それから垂直に上昇して球体の青い楽園を目指そう・・・」
新しい〈生命都市〉に移住していく住民たちの姿を、技術管理室の窓から見おろしながら、マリは呆然と呟いた。
「こんなことが――本当に・・・」
「生命建築、生命都市・・・」
父親が言った。「それほど突飛な発想ではない。いにしえの宮大工は、木材という生きている素材から壮麗な寺社を造りあげた。〈木〉という生命を活かし、共生し、美しい都を築いていった。その精神に思いを至りさえするならば、今のわれわれにも、さらに築きあげるものが見いだせるのではないだろうか」
「お父さん・・・」
「それを実現していくのは、おまえたちと子供たちの世代だ・・・」
父の姿が、瞬いた。
その姿が、半分透き通り、幽霊のように霞んでいく。
「私は、この古都とともに・・・滅びていこう・・・」
老人の姿が――AIの造りあげたホログラム映像として「生きて」いた父の姿が消えていく。その瞬間――娘が言った。
「そうはいかないわ、父さん。ダウンロードしたから」
マリが記憶媒体を端末から引き抜くのと、情報装置本体が停止するのと同時だった。
いよいよ、この古都も最期を迎えるのだろう。
「さあ。私たちも行くわよ。楽園を目指して! ロミ!」
娘を呼んだ。「あなたも、自分の宝物を持って」
ロミは母親に微笑みかけた。
そして、小さなその手に、積み木を持った。
新しい世界で築きあげるあげるなにかを夢みながら。
- ショートショート
井上 雅彦(いのうえ まさひこ) - 1960年 東京生まれ。
- 1983年 「よけいなものが」で星新一ショートショートコンテスト優秀作を受賞。
- アンソロジー《異形コレクション》シリーズの企画・監修で、1998年に第19回・日本SF大賞特別賞を受賞。著書に『四角い魔術師』『夜の欧羅巴』『夜会 吸血鬼作品集』などがある。
- イラスト
麻宮騎亜(あさみや きあ) - 1963年 岩手県北上市生まれ。
- アニメーターを経て、1987年に『コンプティーク』(角川書店)に掲載された「神星記ヴァグランツ」で漫画家としてデビュー。
- 画集に『麻宮騎亜画集』『麻宮騎亜 仮面ライダーフォーゼ デザインワークス』『STUDIO TRON ART BOOK 1993』などがある。
- 代表作「サイレントメビウス」「快傑蒸気探偵団」「コレクター・ユイ」「遊撃宇宙船艦ナデシコ」「彼女のカレラ」他。
- 作中に関連するシミズの技術
- シミズドリーム:深海未来都市構想 OCEAN SPIRAL