どこの会社にも「社臭」があった
人間に体臭があるように、会社にもそれぞれに独自のにおいがあった。
私が会社勤めをしてたころ、自分のデスクで当たり前にタバコをプカプカふかしながらコピーを書いていた。会議室でも多くが何の遠慮なくタバコを吸っていた。
最初に勤めたのはアパレルメーカー。女性社員がだんぜん多いぶん、華やかな「社臭」だった。次は広告代理店。タバコは多くが普通に吸っていた(洋モク派が多かった)が、男性でも流行に敏感な、いまでいうチャラいクリエーターが多いためかグルーミングに熱心でオーデコロンとかをつけているのがけっこういた。
クライアントに出向くと、業種によって「社臭」はバラエティに富んでいた。たまに工場とか現場に行くことはあっても、基本的には事務管理部門の人たちと一緒に仕事していたのだが、いわゆるガテン系というか重厚長大のメーカー系の会議室は、学生時代の体育会の部室のようにムンムンと男臭かったしタバコの煙で視界がかすんでいた。食品や薬品、化粧品、繊維といったメーカーでは、当時から禁煙が多く空気感がスッキリしていた。デパートやシティホテルになると、たぶんに気のせいだと思うが「かぐわしい」上品な感じだった。
排除されるニオイ、歓迎される匂い
タバコだけじゃなく、社会がニオイというものに、これほどの「うるさく」なったのはいつごろからだろうか。バブルの崩壊で、だんだんと閉塞感が立ち込めてきたのと歩調を合わせてきたようにも思える。
無臭化と、いい匂い願望。ドラッグストアの棚いっぱいを占める、その商品の多さにはただただ圧倒される。スキンケアにヘアケア、マウスケア。洗濯。トイレ、風呂場、台所、居間、靴箱の室内のすべて。ペット用に車用とあらゆる用途で。徹底して脱臭・消臭・無臭化するか、いい匂いを振りまくか。その二者択一しかないのだ。ただ確かに言えるのは、体臭、とくにオッサンのそれは、排除される「敵」になっていることだ。加齢臭が、スメハラだと言われると、もう何も言えなくなる。
確かに、公共空間でにおいは大きなファクターだ。多くの不特定多数の人たちが集まるところでは、みんなが穏やかな気持ちでそこにいたい。そうした空調デザインが求められる。オフィスでも同様に、ストレスなく働ける環境づくりが必須だ。どこかピリピリと鋭角的なこの社の空気感は、なんか息苦しい。
アロマセラピーならぬ、アロマアメニティ。
画一化とか排除は勘弁だが、やっぱりだれもが「ああ、空気がおいしい」と思える社会であってほしい。やはり、においにも多様性があることを認め、もう少し寛容でありたいとも思う。
「鮒ずし」をはじめて、こりゃ美味い!
京都出身なので、東下り(この京都人のいやらしい物言い一度してみたかった)して、食の面でいろいろとカルチャーショックを受けた。立ち食いうどんで、汁を飲み干すことができなかった。神田の居酒屋で飲んでいると、こんな時間にバキュームカー、と鼻をつまんだ。先輩は平然としていた。「くさや、だよ」。頼んでくれた。おそるおそる、ほぐしたそれの小さいのをひと口。美味い!噛むほどに滋味があふれた。
味覚と嗅覚は加齢に伴い成熟するものかもしれない。
琵琶湖の高級珍味、鮒ずし。先日、初めて美味い!と思った。ブルーチーズに負けるとも劣らない強烈なにおい。一緒に食べた32歳の愚息は、ちょこっとかじって顔をしかめた。
最後に、ちょっとウンチクを。
においは古語で「にほひ」、漢字では「丹秀ひ」と書くらしい。「丹(に)」は赤色のことなので、視覚的に鮮やかで美しいことを示す。光り輝く竹から生まれ、この世のものとは思えないほど美しい「かぐや姫」は、「嗅ぐや姫」でもあるのだとか。とうぜん、臭い姫なんかではない。ビューティフル・プリンセスなのである。
- 大槻 陽一
- 有限会社大槻陽一計画室 ワード・アーキテクト