2020年8月、メロスは完走できるだろうか
ニュースで、2020年の真夏の東京で走るマラソンランナーたちのことを特集していて、太宰治の『走れメロス』を何十年振りかに読んでみた。
「青春時代のはしか的作家」と言われるが、青臭いまま歳を食ったわたしは、たまに本棚から取り出してみる。そして、かつて篤い友情物語として道徳的に「読まされた」感覚を思い出しては、また本棚にしまっていた。
改めて読んでみて、驚いた。
友情物語という印象は美しき思い出だったのか、苦笑が止まらない。喜劇ではないのだが、メロスのトホホないい加減さに、オイオイ、そうじゃないだろとツッコミを入れたくなるのだ。
メロスの独りよがりな正義感で、親友セリヌンティウスは本人の知らないうちに、処刑される確率が限りなく高い人質にされる。妹の結婚式が終われば、すぐに親友のもとに駆け付けると思いきや、何度も睡魔に負ける。そして、自分に都合のいい言い訳をする。
人間らしいっちゃらしいのだが、要は、誘惑に弱いヘタレ野郎なのだ。
だが結果は、ギリギリ間に合い、親友同士がっしと熱い抱擁をし、暴君の人間性をも目覚まさせて、めでたしめでたし。
1964年頃、道路はよく「溶けていた」!?
物心がついていた、昭和の30年代後半から40年代の初めにかけて、夏になると、道路のアスファルトが「溶け出していた」記憶がある。
キラウエア火山の溶岩ようなさらりとしたものでなく、粘着力の高いものだったような気がする。溶けた板チョコ。まさに、そんな感じ。いまの子がスライムを面白がるように、学校帰りに、棒とか傘の何かの先端にそれをツンツンとして遊んでいた。靴や服に着けては、母親によく叱られた。あのコールタールの独特なニオイがいまでも懐かしい。
いまはそんなことはもちろんないが、都心の夏の道路は、そこに生卵を落とせば、瞬時にいいあんばいの目玉焼きができるほど熱い。車を降りたとたん、足元から熱風が襲ってくる。
そんな道路を、メロスが走ったとしたら…
まず真っ先に、足の裏が大火傷だろう。アッチッチと言わんとばかりに灼熱のナミブ砂漠で足を交互に上げてダンスするトカゲさながらに。
マラソンランナーはなぜサングラスをかけているのか
ここ数年、マラソンとか駅伝のテレビ中継を見ていて、サングラス姿のランナーが多いことあらためて気づく。
眩しいから。とうぜんだろうな、と思っていたら、それより重要な働きがあるらしい。瞳孔が開きすぎると脳はメラニン色素を産出せよと命令し、疲労が激しくなるらしい。それを防ぐ方が、スポーツ医学的には大切なのだ。なるほど!
では、最も懸念される熱中症対策はどうだろう。
給水ポイント。スポーツ医学的にエビデンスのある「機能性飲料」が補給できるのはとうぜんだろうが、給水シーンでいつも思うことがある。
ウェアを着替えないのはなぜなのだろう、と。
タイムロス。行為としてみっともない。しかし、いくらウェアが吸汗、発汗、速乾の側面で機能的に進歩したとはいえ、生地はやはり生地なのである。そのことは、毎年進化しているU社のTシャツを着るたびに思う。どうしてもやっぱり肌にべっとりとまとわりつく。その不快感たるや、ハンパない。ましてや、熱中症の原因は、その汗にある。
「ドライミストがあるよ」
ジョギングを趣味にしている友人が教えてくれた。
「夏、高速道路のパーキングエリアなんかで経験したことあるだろ、あの吹き出している霧」
確かに、あれは、助かる。人心地がつく。砂漠でオアシスにたどり着いた気分は、こんな感じなんだろう。暑いさなか、デパートの入り口で、それがあると、文句なく嬉しい。それがあるだけで、理由もなく立ち寄りたくなる。
調べると、屋上緑化の研究の中で、生み出されたらしい。気化熱の応用。要は、先人の知恵が生んだ究極の省エネにしてエコな避暑策「打ち水」の最新技術バージョンだ。
2020年の8月某日。
個人的には、世界のマラソンランナーたちには、煌煌と明るい満月の夜、走ってほしい。それも真夜中。沿道のオフィスビルなどからのエアコンの室外機もそんなにはフル稼働していないだろう。
ちなみに、ヒートアイランド現象は、漢字では「熱孤島現象」と書く。
- 大槻 陽一
- 有限会社大槻陽一計画室 ワード・アーキテクト