2021.12.13

建設的な未来(日本SF作家クラブ)

コラボレーション企画
建設的な未来

「お待たせ―! スペースレスキュー、ただ今参上!」

突然響いた大音声に、美月は飛び上がった。個室から顔だけ出してのぞく。大きな窓を背景に、人影があった。近づいてくる人影を見て、美月は目を見張った。まるで前世紀の特撮ドラマに出てくるような制服。美月の倍はあろうかというほどの体格に、軽くウェーブしたショートカットはブロンドで、真っ赤な口紅を厚いくちびるにきりっと引いていた。首にはヒョウ柄のスカーフが躍る。

「お姉ちゃんかい。遭難したっていうのは。研究室のお仲間が、必死こいて救助を要請してきたで。宇宙ヨットのパイロットっていうから、さぞかしごっつい兄ちゃんかと思ったら、こんなにほっそいべっぴんさんとは、また驚いた」

近傍の宇宙ホテルから来たという救助隊員は、エミコと名乗った。最年長だというが、部屋の中を縦横無尽に飛び回る様は、美月の動きよりも的確だ。エミコは、次々と設備を確認しに行く。手際よく片付けられた個室の隣で、美月はすることもなく見ていた。

「あ、あの、この構造物は何ですか?」

設備の確認が終わり、「さ、行くで」と声がかかったとき、美月はやっとのことで口を開いた。よくぞ聞いてくれた、と言わんばかりにエミコはにやりと笑った。

「ここはな、<そら小屋>や。山小屋の宇宙版。宇宙で困ったことが起きた時の、避難小屋や」

「避難小屋、ですか」

「宇宙ヨット競技会が開催されるっちゅうから、競技エリアの近くに集めて準備し始めたとこや。お姉ちゃんは運がいい。間に合わんかったら、ソーラーセイルであの世行きや。三途の川も宇宙ヨットで渡る時代がくるとはなぁ」

がはは、と大きな口をあけて豪快に笑う。エミコの身体全体が波打つように揺れる。美月もつられて微笑んだ。

「助かりました。いきなり近づいてきて驚いたんですけど、でも、ほんとに安心しました」

「いい部屋やろ。なんたって、もとは豪華宇宙ホテルやからな」

美月は耳を疑った。宇宙ホテル?

エミコは、にしし、と得意げに笑う。

「リサイクルよ。リサイクル。第一世代の宇宙ホテルを改修するときに、使わなくなった客室ユニットをリサイクルしたんや。月軌道までに50個。すごいやろ」

合点がいった。入り口の妙に重厚な自動ドア。宇宙を見渡せる大きな窓。ガラスケースの中の植物は、観葉?

「あの植物はな、食用。宇宙ホテル用に開発した、促成栽培技術の賜物。サラダ用や」

それから、と美月に背を向けてすいっと泳ぐように移動し、窓の手前で止まった。その足元は、吹き抜けになっている。<そら小屋>は同じサイズの部屋を2段に重ねた構造をしていた。窓の下には、もう一つのドッキングポート。エミコの乗ってきた救助船がドッキングしているという。美月が入ってきた場所の、ちょうど対角線上だ。

「この機械室みたいなのは、循環式の生命維持装置と<そら小屋>の駆動装置。駆動装置といっても、遠隔操作やけどな」

エミコの指さす下段の部屋は、薄暗い照明の中、大きな機械設備が空間のほとんどを占めていた。

<そら小屋>を後に、宇宙救助隊の基地があるという宇宙ホテルに向かって、小さな救助船はぐんと加速する。振り向けば、<そら小屋>はみるみる小さくなっていく。

キャプテンシートで楽しげに操縦するエミコは、もうすぐ90歳だという。60歳で宇宙関連企業を早期退職し、パートで宇宙ホテル建設にかかわった。完成後はメンテナンス要員として滞在し、1年ほど前、<そら小屋>運用の開始とともに宇宙救助隊を組織したらしい。

青い地球を望む大きな窓。するんと身体を包む居心地のいい寝袋。オアシスのような緑。<そら小屋>のすべてが、美月の脳裏に浮かんでは消えた。ほんの数時間の滞在だったのに、強烈に後ろ髪を引かれている。

「<そら小屋>って、どんな方が考えたんですか」

高ぶる気持ちを抑えた美月の質問に、エミコはフンと鼻を鳴らした。

「そんないい話じゃないよ。そいつは家族を宇宙の事故で亡くしたんだ。もう二度とそういう悲劇を起こしたくないって。そういうことさ」

宇宙開発が軌道に乗り、行き来する宇宙船の増加とともに、事故も増えた。だが、宇宙空間での救助はままならず、もう少し早ければ、というケースが散見された。せめて、救助が来るまでしのげる場所があれば、と<そら小屋>の発案者は考えた。死と隣り合わせの宇宙で、すべての人が安心して行き来できるように、と。

美月は胸の前で手を強く握りしめた。私も、もしかすると宇宙の事故で、母のように。

「ま、タっちゃんの主張は正しかったんや」

タっちゃん? 美月の胸が、ドクンとはねた。

「ああ、タっちゃんってな、うちらがずっと一緒に働いてた、宇宙ホテル専門の建築家や」

美月の動揺に気づく様子もなく、エミコは淡々と続けた。

「あの、個室にあった寝袋なんですけど」

美月の声は、震えていたかもしれない。

「あれもな、タっちゃんのアイデアや。赤ん坊は母親に抱かれていると安心するやろ。それを再現できないかっちゅうて」

「まるで母の腕の中のように、・・・鼓動まで聞こえました」

エミコの横顔を見つめた。視線に気づいたか、エミコの眉がふっと上がる。美月はそっと視線を落とし、膝の上で両手を硬く握った。

「子どものころ、父が作ってくれた隠れ家があったんです。あの寝袋のような手触りで、ポケットには時計が入っていて、カチコチ鳴って。伯母の家で、・・・母が亡くなっていましたから、寂しいときには、いつもその隠れ家に入っていたんです」

「・・・お姉ちゃん、名前は?」

勢いの削がれたエミコの声が、遠慮がちに聞いた。

「嵯峨原美月、です」

ちらりと見たエミコの横顔が真顔になり、大きく息を吐く。

「なるほど。タっちゃんの娘さんか。こんなこともあるんや。・・・タっちゃん、あんたの願いはかなったなぁ。<そら小屋>がなかったら、また大切なものをなくすとこだったわ」

上を向いて、エミコがつぶやいた。

<そら小屋>の寝袋は、美月の小さな隠れ家と同じだった。美月のための工夫を、そのまま宇宙へ。捨てられたと思っていた、いつしか反発しか覚えなくなった父が。美月は手で顔を覆い、下を向いて身体を震わせた。その肩に、優しく手が添えられる。

「タっちゃんはな、小さなあんたの写真をずっと持ってたよ。大切だから、あえて地球に置いてきた。宇宙での生活は危険と隣り合わせだって」

美月は顔を上げた。きつく結んだ唇から、絞り出すように声を出す。

「父は、今、どこにいるんですか」

「小惑星帯や」

新しい宇宙基地の建設を始めているという。地球から遠く離れた宇宙で、高い快適性と安全性をいかに両立させるかが課題らしい。タっちゃんは常にチャレンジャーや、とエミコが得意げに言った。

「会いに行くか?」

行ったら小躍りして喜ぶで。そうエミコの目は語っている。美月は思わず視線をそらした。

父にはもう何年も会っていない。美月を伯母に任せて、地球にはほとんど帰らない父。たった一人残された娘に会わなくても平気なのか。自分だけ自由に生きて。と、いつしか反感を持つようになった。だけど、今ならわかる。あの隠れ家を私のために、ひとりでも寂しくないように、と作っていた。そして、宇宙の事故で悲しむ人がいないように、と<そら小屋>を。

美月は小さく頭を振った。<そら小屋>のおかげで九死に一生を得たのが、よりもよって自分の娘だなんて。しかも私の未熟さが招いた結果で。父に告げれば、呆れられるのが関の山。

──宇宙は危険な場所だ。リスク管理もできないやつは、宇宙に出る資格はない。地球でおとなしくしていなさい。

父はきっとそう言うだろう。いつまでも子ども扱いして。自由に羽ばたきたいと思っている私の気も知らずに。もう父に守られているだけの、小さいままの私じゃない。だけど、それを証明するすべが、まだ手元にないのが悔しい。

定まらない視点が窓の外をさまよう。<そら小屋>は遠く離れ、星の海にのまれて見えない。またいつか、訪れることはあるのだろうか。あの、穏やかな、なつかしい場所に。大きく吸った息をゆっくりと吐きながら、船内に戻した美月の目がエミコをとらえて、釘付けになった。

特撮ヒーローのような派手なコスチューム。それが、いつしか、誠実な、そして頼りがいのある姿に変わっていた。そして、美月は気づく。遭難した私を救ったのは<そら小屋>だけではない、と。

「行きません」

美月はきっぱりと答えた。エミコの真ん丸な目が瞬きもせずに、止まった。

──行くもんか。お父さんのおかげで助かりました、なんて、言いに行くだけなら意味がない。同じ場所に立って告げる言葉は、それじゃない。

心は決まっていた。まっすぐ前を向いた美月の目に、きらびやかな宇宙ホテルが迫ってくる。

「私を宇宙救助隊に入れてください」

ショートショート
揚羽 はな(あげは はな)
SF作家。ゲンロン大森望SF創作講座出身。
臨床検査技師を経て、医療機器・体外診断用医薬品の開発に携わる。
2019年 『Meteobacteria』にて第6回日経「星新一賞」優秀賞受賞。
2021年 『また、来てね!』(Kaguya Planet、VG+)、第1回「日本SF作家クラブの小さな小説コンテスト」審査員。
イラスト
加藤 直之(かとう なおゆき)
SFイラストレーター。SF小説のカバーイラストを中心に、作品を描きあげる過程で科学、物理、工学、工芸に興味を持ち、取材のために関係イベントにもよく顔を出す。
趣味は読書と自転車。乗るだけでなくパーツの改造をしたりすることも多く、金属やカーボンの素材を切ったり削ったりするのが好き。最近はプラネタリウムのドーム投影作品にも挑戦している。
作中に関連するシミズの技術
宇宙ホテル