清水建設と日本SF作家クラブのコラボレーション企画「建設的な未来」は、これからの社会に起こりうる事柄に対する、よりよい未来の「建設」に向けて、私たちができるかも知れないこと、また、乗り越えた先にあるかも知れない世界をテーマにしたショートショートです。
第19話は柴田 勝家さんの『月宮架空言(つきのみやかかるそらごと)』です。お楽しみください。
第19話
月宮架空言(つきのみやかかるそらごと)
柴田 勝家
祖父はホラ吹きだった。
私が幼い頃など、祖父に折り紙で何か作ってくれとせがめば、彼は紙を適当に折りたたんで「魔法の梯子ができたぞ」などと言ってよこしてくれたし、外から帰ってくるたびに「願い事が叶う花の種だ」と言って、雑貨屋で買ったユウガオの種を渡してくる。あるいは祖父と一緒に散歩に行くと、唐突に草むらを拝み始めて「神様が通りなさった」とか「妖精が飛んでるよ」などと言ってくる。
今にして思えば、それは夢見がちだった私を楽しませるための他愛ない嘘だったのだろう。ただ、冗談や作り話を孫との遊び道具に選ぶあたり、やはり祖父は変わり者だったのかもしれない。
そんな祖父は、有名な宮大工だったらしい。
輝かしい経歴の方が推量形で、不名誉なホラ吹きの方が断定形なのは心苦しいが、私が物心ついた頃にはもう大工の職を辞めていたのだから仕方がない。それに加えて、祖父は自分の仕事について嘘を吐いたことはなかった。
私が祖父から仕事のことを聞いたのは1回限り。家の近所に八幡神社があって、そこへ七五三で詣でたときに「ここはジイちゃんが作ったんだ」と言っていたのを覚えている。
その時の私は、きっといつもと同じ頷き方をしてしまったのだろう。祖父にとっては大真面目に告げたものが、普段のホラと同じように扱われてしまったのだ。でも、これだって仕方ない。子供にとって神社やお寺というのは、なんだか神聖なものということしか理解できないし、それを家族が作ったというのも理解できないのだから。
これが原因かはわからないけれど、とにかく祖父は宮大工として手掛けた仕事を私に言うことはなくなった。小学生の高学年になって、ようやく宮大工という仕事を知った時には、祖父自身が昔のことを忘れてしまっていた。
やがて私が中学に上がる頃には、祖父の言葉の大半がホラになっていた。悪気なんて何もなく、ただ無意味なことと目に見えないものの話ばかりするようになった。
特に何度も話していたのが「うちの先祖は、月に行って宮殿を作ったんだ」というものだった。それに続くのは「それ以来、我が家は宮大工の家系になったんだ」という言葉。
その話を聞くたびに悲しくなった。だって、今まで祖父は自分の仕事についてはホラを吹かなかったのだから。
むかしむかし、薩摩国(今の鹿児島県)に嘉兵衛という名の大工がおりました。嘉兵衛はとても腕の良い大工で、殿様から命じられて立派なお城を建てたこともありました。そんな嘉兵衛の故郷には、たいそう美しい娘さんがいました。嘉兵衛は娘さんを好きになり「どんな立派な家でも建ててやるから嫁になってくれ」と言いました。すると娘さんは「では月に宮殿を建ててください」と嘉兵衛に頼んだのです。
高校を卒業する年、暖かな春先に祖父は亡くなった。
最後に祖父と話をしたのは亡くなる2日前だった。深夜に起き出して何気なく階下に降りると、縁側に腰掛けて月を眺める祖父を見かけた。心配になって横に座ると、祖父は「ほら、お月様で宮殿を作ってる」などと言ってくる。それは聞き飽きた内容だったけど、その日は気分が良かったから、
「ジイちゃんは、月に行ってみたい?」
などと尋ねてしまった。
「ああ、行きたいなぁ」
これが最後に聞いた祖父の言葉だった。
その後は母と一緒に祖父を部屋まで送ったが、次の日には倒れてしまい、あっという間に病院へ運ばれていった。あとはお見舞いに行く暇もなく、祖父は早々と旅立ってしまった。
そんな祖父も火葬場で焼かれ、ひとすじの煙となって天へと昇っていく。月へ届くかは知らないけれど、地上よりは近い場所へ行けたはずだ。
嘉兵衛は娘さんと結婚したい一心で、月の宮殿を建てることを引き受けました。しかし、どうしたら月へ行けるのだろう。悩む嘉兵衛が母親に相談すると「では、これを植えなさい」と夕顔の種を与えてくれました。嘉兵衛は母の言葉に従って種を植えると、なんと不思議なことに、夕顔がすくすく育ち、長いツルが天まで伸びていったのです。
祖父の偉大さに気付いたのは大人になってからだった。
ある時、県の民俗資料館だかの人が訪ねてきて、祖父が使っていた大工道具を引き取りたいと申し出てきた。職員さんの話によれば、祖父は宮大工として様々な神社仏閣の修繕やらに関わっていたらしい。その中には私も聞いたことのある国宝や世界遺産もあったし、地元の小さな神社もあった。
「ぜひ、おじいさんの仕事を見せてください」
そんなことを言う職員さんと一緒に納屋を漁れば、見たこともない道具がわんさか出てきた。色んな種類のノミ、まるで武器みたいな手斧や槍鉋、変な置物だと思っていた墨つぼ、それから錆びた曲尺。どれもこれも職員さんが教えてくれるまで知らないものだった。
納屋での作業中、祖父の日記らしきものを見つけた。
それは現場作業の進捗などを簡単にまとめたものだったが、そこに「母垂木一本、ダジャレ書き残す。後世に法隆寺落書とならん」などと冗談めかした記述があった。これは何だろうと横の職員さんに尋ねてみれば、その人は表情を柔らかくさせて笑い出した。
「おじいさんは、面白い人だったんですね」
職員さん曰く、あの法隆寺には奈良時代の大工が残した落書きがあり、それが今や貴重な歴史資料となっているらしい。それ以外にも、神社の梁に400年前の大工の愚痴が書き残されていたとか、どうにも昔の大工は罰当たりな遊びをしていたらしい。
そう思えばこそ、祖父のホラ吹きも愛らしく思える。あの人はきっと、無意味なことと目に見えないものを心から楽しんでいた。数百年経っても誰にも見つからないような悪戯をやれる人。
私は亡くなった祖父を羨ましく感じていた。
嘉兵衛は夕顔のツルをよじ登って、なんとか月へとたどり着きました。「よし、立派な宮殿を建ててやろう」そう言って、嘉兵衛は月に生える大きな桂の木を切り倒すと、腰にさげていた大工道具を使って作業を始めました。
手斧を振るってエンヤコラ、柱をちょいと切り出して、サァと伸ばした槍鉋、白木も削ってピカピカに。今度は棟木にピッと墨を引き、ノミで削って継ぎ手を作る。木組みもがっしり外れもしない。大斗肘木に三斗を重ね、丸桁をかぶせて二手先、雲形木鼻に海老虹梁、唐草透かしの蟇股。いよいよ出来た月の宮、これには嘉兵衛も大喜び。