2020.09.14

建設的な未来(日本SF作家クラブ)

コラボレーション企画
建設的な未来

清水建設と日本SF作家クラブのコラボレーション企画「建設的な未来」は、これからの社会に起こりうる事柄に対する、よりよい未来の「建設」に向けて、私たちができるかも知れないこと、また、乗り越えた先にあるかも知れない世界をテーマにしたショートショートです。

第11話は矢崎存美さんの『眠猫草(ねむりねこぐさ)』です。お楽しみください。

第11話
眠猫草(ねむりねこぐさ)
矢崎 存美

「眠猫草(ねむりねこぐさ)」イメージイラスト

「母さんにお願いがあるんだ」

息子の(りょう)はそう言い、大きめな洗面器くらいの容器を(ひかり)に差し出した。中には白っぽいふわふわのものがみっちりと入っている。

「これは──」

知ってる。とても高価で、庶民にはめったに手に入らないもの。光が密かに憧れていたもの。

「これは、もしかして──」

「そう。『眠猫草』だよ」

「どうしてこれを・・・」

「母さんはモニターとしてここに入居したでしょ?」

確かに──でもここは、彼が勤めている建設会社が建てたものだ。

70歳の光が住んでいる街は、少し特殊なところである。国と複数の企業が作り上げた実験的なモデルタウンで、息子の会社も協力企業の一つだ。単にそのコネだけでこの高齢者専用住宅に入居できたと思っていた。モニターが条件だと言われていたが、形だけのものだとばかり。それが、こんな高価なものの世話ができるとは・・・。

「このタイプの高齢者住宅には、追々すべてこの眠猫草を置く予定なんだ。母さんにそのためのモニターをしてほしくて、推薦したんだよ」

「どうして?」

「母さんは“緑の指”の持ち主だろう?」

良は憶えていたらしい。彼が幼い頃、光が枯れた植物を近所から引き取り、手入れをして生き返らせるのを。それは、夫と離婚してシングルマザーとなった光の唯一の趣味と言えるものだった。生き物や植物が好きだったから。本当はもっといろいろな植物を育てたかったし、ペットなども飼いたかったが、そんな余裕はなかった。毎日が忙しく、お金もなかったので。

目一杯働いて、一人息子の良を大学まで行かせた。卒業後、建設会社に就職した息子は、今ではこの街が特に力を入れているグリーンインフラの責任者になっている。血は争えぬ、と思った。

今、人は家からも、街からもあまり出ない。環境汚染や感染症、温暖化などにより、屋外に出ることに危険が伴うようになってからどれくらいたつのだろう。光が物心ついた頃にはそうなっていた。

もちろん、歴史として何年たったのか、というのはわかっているが、外に自由に出られる時代をほとんど知らない光にとって、それは「遠い昔」としか思えない別世界のようだった。家の中や、屋外でも限られた場所、決められた時間だけで過ごすことは、光にとっては普通のことだった。

そんな生活をする人々にとって、緑は決して欠かすことのできないものだった。美しく瑞々しい花や木々は街のあちこちに存在し、建ち並ぶビルは屋上も壁面もすべて緑化されている。それは人々の目を和ませるだけでなく、空気を浄化する役目も担っている。長い時間をかけて緑化された街は、森となって人々の生活を守っていた。

公園や学校などにあるビオトープでは植物に触って楽しむこともできるし、育て方を指導してもらえる。緑に来る鳥や虫や動物も観察できる。屋内で育てる花や野菜や果物などは、成長を見守ることで生活に張りを与えてくれ、人の寂しさを癒やす。それは光も充分わかっていることだ。

そんな植物の癒やしの効果をさらに次の段階へ進めたものが、この眠猫草なのだと良は言う。

眠猫草──限りなく猫に近い植物。

かつて「猫」というペットとしてとても人気のある動物がいた。だが、ある感染症が流行った時、それが猫にも広がり、あっという間に希少動物化してしまった。現在、動物園に高齢の何匹かが残っているだけだ。人工繁殖も試みられたが、今のところうまくいっていないという。

愛らしかった姿を映した膨大な量の動画や画像などは今でも大変な人気だが、昔のように気軽に飼うことはできない。けれどこの眠猫草なら、身近に置くことができる。

洗面器のような容器は、眠猫草専用の植木鉢なのだそうだ。フカフカしたクッションのような特殊素材が土代わりに入っている。

「植木鉢を窓際に置いて一定の時間、日に当てて、あとは普通の花のように水やりをすればいいよ」

「それだけなの?」

 光は驚く。高価な植物だから、世話が難しいのだとばかり思っていた。

「まだわからないことが多くて、一般的にほとんど出回らないから。でも、世話自体は簡単なんだ。きちんと手入れしていると、動き出すし。体勢を変えたり、伸びをしたり」

それも動画で見たことがある。猫の、だが。

「触ってもいい?」

「いいよ」

光はおずおずと眠猫草に手を伸ばし、背中と思しき場所に触れた。すべすべとした手触りに驚く。これには憶えがある。

「ネコヤナギの花みたいな手触りね」

眠猫草は動くことはなかったが、なんだか温かいような気がした。本当に眠っているように見える。

「撫でたり話しかけたりしていると、植木鉢から出てくることもあるよ」

「そんなに動くの?」

「しっぽみたいな根が植木鉢に張ってるから、それが届く範囲でだけど。どんなふうに動くかは、個性があるみたい。色も、これは白地に黒のブチだけど、それぞれ違うよ」

良は楽しそうに言う。

「母さんには、この眠猫草を育てて、そのレポートをしてくれるだけでいい。期間は一応決まっているけど、気に入ったらずっと手元に置いていいよ」

そんなこと言われるまでもなかった。光は眠猫草のことがすっかり気に入ってしまっていた。