清水建設と日本SF作家クラブのコラボレーション企画「建設的な未来」は、これからの社会に起こりうる事柄に対する、よりよい未来の「建設」に向けて、私たちができるかも知れないこと、また、乗り越えた先にあるかも知れない世界をテーマにしたショートショートです。
第9話は長谷敏司さんの『光を呑む』です。お楽しみください。
第9話
光を呑む
長谷 敏司
「この落成式が済んだら、星を出るんですな」
技術者のホシノに声をかけてきたのは、現場監督のランドだった。
巨大な建物前にもうけられた広場は、大にぎわいだ。
今日は都市観光の始まりをアピールする記念式典だ。ホシノの見知った顔がたくさんあった。だが、主役は、壇上で話す見覚えのない、えらい人たちだ。都市が修復され、この星は新しい局面を迎えるのだ。
周囲は、のっぺりした表面の、象牙色をした固い素材のビルの林だ。全高は低くても300メートル、高いと2000メートルという高層建築だ。谷間を走る道路は見通しの悪い曲線で、店舗のようなものは一軒もない。竣工まで、このビル群にはずいぶん悩まされた。
「もう充分過ごしましたよ。いや失敬。私がいなくなっても、メンテナンスには、経験を積みに若手の技術者が来ますよ」
都市は100平方キロメートル以上もあるのに、草一本、虫一匹もない。ここは、宇宙に出た人類が、史上はじめてこの星で発見した、異星文明の都市遺跡なのだ。
建材、道路、土台と地盤にいたるまで、素材はすべて未知のものだった。ビルには入り口も窓もなく、中には誰も入れない。放射線年代測定によると築十万年だが、ビルは表面剥離すらなく風化に耐えていた。
ただ、驚異的な技術の産物でも、躯体の重量に地盤が耐えきれなかった。多くのビルが傾いていたのだ。
ホシノは建築物の表面にコーティングを施す技術者だった。コーティングは、宇宙時代になってより高度なものに進化した。モノの表面に壊れにくい、腐食しない、固い、光を通さない、撥水するなど、望みの物性を与えられるようになり、表面以外の素材が自由になった。ホシノは、その性質を修復工事に活かすために呼ばれた。異星文明のビルは未知の塊だが、表面にコーティングが定着しさえすれば、表面だけは人類の知見が通用するようになるからだ。
結局、ホシノは、人工筋肉として機能するコーティングを厚さ1メートル以上も塗布して重ね、ゆっくりと力をかけて傾きを矯正した。その10年がかりの難工事が、終わったのだ。
戦友だったランドが、垂直に角度が戻った建造物を見上げる。
「あちらのえらい人々は工事の中身なんか気にしちゃいないでしょうが、見事な仕事でしたよ。寂しくなりますな」
遠くで真昼から花火が上がっていた。この都市には、双子のようにそっくりな異星都市が、もうひとつある。どちらも中央部に背の低いビル、外縁に背の高いビルが、真ん中が窪んだUの字型に都市区画されていた。二つの都市は、中間にあたる10キロメートルのラインから、線対照に存在していた。落成式典は、そこと2都市同時に開催しているのだ。
ランドが、のんきに花火を見上げる。
「向こうの式典では、アーティストを呼んで最初の客をもう入れているらしいですな」
ビルの傾きが直って倒壊の危険がなくなった遺跡都市に、これから観光客を呼び込む。ホテルが建つ予定の広場から、どよめきが起こった。
都市の内部に、ビルの間に橋をかけるように、大きな虹がいくつも現れたのだ。
ホシノは、強い違和感を覚えた。
「あんな演出はありましたか?」
「聞いてませんな。なにかあるといけない。問い合わせましょう」
技術者と学者が集まっているあたりに行くと、みんな不安そうに顔を見合わせていた。虹が上空200メートルくらいの、ごく低い場所に現れていたからだ。虹の巣になったような、幻想的な光景だ。だが、今日は朝から青空で、雨すら降っていない。水はいったいどこから来たのか、誰にもわからなかった。
ホシノは嫌な予感がした。
「こんな現象は初めてだ。避難したほうがいい」
「同感ですな。けど、どこに?」
この広場は、地図でみると都市のど真ん中にある。外へ逃げるには遠すぎる。
そのとき、ランドの携帯端末が呼び出し音を鳴らした。
「・・・ちょっと待ってください」
ランドが、作業着に縫い付けられた携帯端末を起動した。そして、骨伝導スピーカーで報告を聞いて、呆然と口を半開きにした。ホシノも彼の言葉を聞いて、予想外のできごとに頭が真っ白になった。
衝撃からさめやらぬ様子のランドが、言ったのだ。
「今、ビルのドアが開いたそうです」
* * * *
人々が、警備員の誘導で、異星文明の建物内部に移動しはじめた。広場前の巨大なビルを避難所に定めたのだ。
ビル内は間仕切りの壁も柱もない、ただのからっぽの箱だ。照明がないから奥は暗く、皆が入り口付近に密集している。
全員が避難し終えた頃、ずしんと音をたてて、都市が縦に揺れた。立っているおとなが転倒するほどの、巨大地震だった。
ホシノとランドは、入り口のそばで建物の林を見ていた。
「計算上は耐えられる揺れですが、恐ろしいですな」
揺れはいつまでもおさまらなかった。巨大な躯体は頑丈にも、きしみひとつおこさない。
だが、異星文明の建築がいかに強固かを知らない人々が、不安を口にしだしていた。ホシノは声をあげた。
「出ちゃいけない! このビルがダメなら、外も全部助からない」
すると、人混みをかきわけて、立派な身なりをした女が近づいてきた。式典で挨拶していた、この星の行政長官だ。
「修復に関わっていたかたね。本当にだいじょうぶ?」
「保証はしかねます。ただ、このくらいの地震で倒壊する可能性は極めてちいさいです」
そのとき、屋内が真っ暗になった。全員が、気圧の変化で鼓膜に耳鳴りを感じた。突然、入り口が閉まってしまったのだ。
直後に、浮遊感がして、広大な床が淡く輝きだした。
「なんだ、これは・・・」
壁面が、ガラスに材質を変えたかのように透明に転じた。外からの陽光が差し、都市の今の風景が透けて見える。
皆の驚きをよそに、地鳴りの中、外のビル街をたちこめた霧が覆いはじめる。さっきの虹をかけた水蒸気は、町の地面の底からわいてきていたのだ。
けぶりに沈んだ摩天楼に、光が灯った。急速に、霧の向こうにぼやけた街明かりが、1万、100万と、絢爛たる輝きを取り戻してゆく。
避難してきた人々がざわめく。
「床に、これは・・・?」
長大な手すりのようなものが、床に何本も現れていた。危機感に押されてみんなで握った。体が浮き上がる感覚がした。浮遊感はどんどん強くなり、ついに床から足が浮いた。無重量状態になった。異星文明人たちは、建築物の内部で高度な重力制御を行っていたのだ。
もはや体を支えるものは、全員がしがみついている手すりしかない。その手すりが、ぐっと人々の体を押した。
「ビルが倒れている! 空が!!」
誰がはじめに声をあげたのだろう。透明な壁の向こうから、大地がまるで壁のように迫ってきていた。強い陽光が差す。地平線があったはずの場所に、今は空が見えた。ビルではなく地盤がとてつもなく大きく傾いているのだ。天地が文字通りひっくり返って、パニックになるまで、一瞬だった。
誰かが頭上を見上げて、悲鳴をあげる。透明になっていた天井から、逆さまになった巨大な都市が見えた。双子の都市が、落下するように突っ込んできていた。
そして、互いの天井を押し付け合うように、都市が衝突する。その衝撃に、誰もがもみくちゃだ。