2020.01.27

建設的な未来(日本SF作家クラブ)

コラボレーション企画
建設的な未来

ルナリングのレーザーは、38万キロ離れた地球を巡るデブリを一つ一つ狙い撃ちしている。夜明けの空に見える流れ星は、たいていは、私たちが落としたデブリだ。

レーザーは、デブリを破壊する訳ではない。地球の夜の側から現れるデブリをレーザーで押し返すだけだ。レーザーに押されて減速したデブリは、地球の重力によって高度を下げ、流れ星になる。

つまり、レーザーは減速に使われている。

「残りの酸素を酸化剤に変換しろって事ですか?」

驚いたようにユージーンが言った。私たちが呼吸する3週間分の酸素を酸化剤にしても、微々たる量にしかならない。でも、それくらいぎりぎりなのだ。

「全部じゃないわ。60時間分は残しておくようにという指示よ」

月から地球への帰還に要する時間は、大昔のアポロ計画と同じ60時間程度が見込まれていた。大気圏突入ではなく宇宙ステーションとのランデブーであっても、地球近傍までの慣性飛行に必要な時間は変わらない。

「どっちにしたって、月の周回軌道にすら乗れないのでは?」

ユージーンの反応は、私が計画を聞いたときの反応と同じだった。帰還に使う月着陸船のエンジン出力は決まっていたし、酸化剤の量でエンジンの稼働時間が決まる。エンジンの稼働時間が加速時間だから、それで到達可能な速度も決まる。酸化剤不足で燃やせない余剰燃料を捨てたとしても、到達可能な速度が月の周回軌道に乗るために必要な秒速1.7キロにすら及ばないのは、既に計算済みだった。

「ええ、でもリニアモーターカーを使えば速度を稼げる」

月にはルナリング建設のための資機材を運ぶリニアモーターカーが設置されていた。赤道に沿って、ほぼ一直線に月を周回する長大なリニアモーターカーは、大量の資機材を輸送できるように作られている。

「それだけでは、月の重力圏から脱出できません」

地上最速のリニアモーターカーは時速千キロ、空気抵抗がないルナリングのリニアモーターカーは、その倍の速度を出せる。ただ、それでも秒速換算すると秒速0.55キロにしかならない。ユージーンが指摘したのは、簡単な足し算の問題だった。月の重力圏を脱するために必要な速度は、秒速およそ2.4キロ。船のエンジンでは秒速1.7キロに届かないのに、それに0.55キロを足したところでまだ足りない。

「ええ、そうよ。だから私はセーリング用の帆を準備するわ」

一瞬の間をおいて、ユージーンの表情に理解が訪れる。

「じゃあ、僕たちは帰れるんですね」

普段は建築用の資機材を載せているリニアモーターカーの貨物車に、ルナリングの建設資材で発射台を作り、月着陸船を乗せる。リニモーターカーが最高速度に達した時点で発射台のロックを解除し、月着陸船のエンジンに点火すれば、何とか月の周回軌道に到達できる計算だった。後はレーザー光に押された帆が、地球まで運んでくれる。

「ええ、私たちは地球に帰れるわ」

酸化剤の量はぎりぎりだった。でも、ルナリングのレーザーには十分な余力がある。父が開発に参加した照準システムを使えば、オペレーションセンターが私たちを見失うことはない。

 * * * *

妻の柚葉とユージーンの話を瑠那は真剣に聞いていた。不公平に思うのは、柚葉は月からの帰還について話す時、いつも父親が開発した照準システムのことは持ち上げるのに、僕が関わっていたレーザーセールのことは、いつも簡単にすませてしまうことだった。確かにシンプルなものだったけれど、素材や展開方法は画期的なものだったし、帆がなければ柚葉たちは帰ってくることは出来なかった。

でも、僕はそのことにあまり不満を言うつもりはない。柚葉が無事に帰ってきてくれたことが、僕にとっては大きなプレゼントだったし、瑠那が生まれたはその2年後のことだ。

柚葉とユージーンは人類で初めてレーザー推進を使って宇宙を旅した。同時にルナリングのレーザー送光設備がレーザー推進に使えることが実証されたことで、世界はまた大きく動き始めていた。

ルナリングは当初計画を超えて拡張を続けていた。今では月の全周でレーザー送光施設が稼働を始めている。もちろん、それは地球にレーザー光を送るための施設ではない。

月から発せられたレーザーは火星に向かう船の帆を押していた。火星に送り込む貨物はルナリング建設の時と同じような自動建設装置のパッケージ。火星の赤道上に等間隔で配置される六基の自動建設装置が、レーザー送光施設を備えた直径70キロの太陽光発電基地を建設する計画になっている。

火星の施設は、地球にエネルギーを送るためのものではなく、月のレーザーで加速された船を火星側で減速するためのものだった。火星でのミッションが終了したときには、柚葉たちの時と同じように火星からの帰還にも使われる。

推進剤を必要としないレーザー推進によって、手の届かないところにあった火星が近くなる。あと15年もすれば、火星のレーザー施設が稼働を始める。計画の策定とキャンセルが繰り返されてきた火星への有人探査が、今度こそ実現するだろう。その時、火星に行くのは瑠那の世代だ。

火星へ、その先の小惑星帯を経て木星の衛星群へ。ブループリントはできている。まだ明るい空に、うっすらと見えはじめた月は、太陽系に広がるレーザー推進ネットワークのハブになる。

ショートショート
伊野 隆之(いの たかゆき)
1961年 新潟県上越市生まれ。
2009年 経済産業省在職中に「森の言葉/森への飛翔」で第11回日本SF新人賞を受賞し、翌2010年に受賞作を改題した『樹環惑星-ダイビング・オパリア』を刊行。
2017年 タイ王国ホアヒンに移住。
イラスト
麻宮騎亜(あさみや きあ)
1963年 岩手県北上市生まれ。
アニメーターを経て、1987年に『コンプティーク』(角川書店)に掲載された「神星記ヴァグランツ」で漫画家としてデビュー。
画集に『麻宮騎亜画集』『麻宮騎亜 仮面ライダーフォーゼ デザインワークス』『STUDIO TRON ART BOOK 1993』などがある。
代表作「サイレントメビウス」「快傑蒸気探偵団」「コレクター・ユイ」「遊撃宇宙船艦ナデシコ」「彼女のカレラ」他。
作中に関連するシミズの技術
シミズドリーム:月太陽発電 LUNA RING