あらゆる文化芸術娯楽がパタッと息を止めた「悪夢」はもういやだ
昨年4月の緊急事態宣言で真っ先に対象(実際は犠牲や見せしめ、スケープゴートだったと思えるが)になったのが趣味嗜好、娯楽遊興にかかわる業種や業界である。カルチャーやエンターテイメント。拡大初期にクラスターがあちこちで発生したライブハウスが目の敵のように報道され、3密だとアミューズメント施設、屋外の音楽フェスティバルに大小のコンサート、演劇、歌舞伎、映画、落語に漫才の大衆芸能等々がバタバタっと公演・公開中止。美術館も博物館も図書館も軒並み行けなくなった。プロ野球もJリーグも、様々なアマチュアスポーツも。全国の伝統的な祭りもことごとくなくなった。
貰った美術展の招待券は反古になり、浅草で漫才に大笑いした後のもつ焼きで「口角泡を飛ばす」千ベロの予定は流れた。
上記のような不要不急の外出は不承不承控え、モヤモヤしたままステイホームに突入。 ライブハウス、ミニシアターの経営者、小劇団の主催者等々、活動の場を喪ったミュージシャン、音楽家、役者、芸人、アーティスト、パフォーマー等々の悲鳴が瞬く間に拡がり、要請ばかりで支援補償が示されないことで火に油を注ぎ大きな怒りになった。
夕刊の展覧会情報がスカスカになり、コンサート評、映画評、演劇評、演芸評から生気がいっきに失せた。「生(ライブ)」がまったくなくなったのだから当然だ。
「アーティストは必要不可欠であるだけではなく、生命維持に必要なのだ、とくに今は」
とドイツの文化大臣モニカ・グリュッタースは、アーティストやクリエーター、カルチャーに関わる中小企業に対して500億ユーロという世界でも随一の大規模支援を打ち出し、申請には煩雑な書類添付などまったく必要がなく、ほんの数分間のスマホ操作で3日後には入金したという。生命維持に必要とは、よくぞ言ってくれた!その通りだ。
一方日本は、どうも文化事業は「不要不急」に見えるようで親身さはまるでない。Go Toの目的語に劇場やコンサートホール、映画館、ミニシアター、ライブハウス、寄席、演芸場はない。観光立国は目指すが、芸術立国は埒外のようだ。
夏炉冬扇が芭蕉を生んだ。「役立たず」が彼の美意識を育んだ。普段使いの無用の用に美を見つけたのは柳宗悦だ。無駄や無意味にくだらないもの。落書き。ひま潰し。不便に不足。ゴミに不用品。ほら話に与太話。妄想力に想像力。つまり不要不急がなければ、文化や芸術は生まれてこなかった。きっとこの世界も味も素っ気もないニュアンスのないものになったはずだ。
カンバーバッチの舞台に息を吞む
YouTubeにはお世話になった。なぜか深海魚の動画をよく見た。進化の究極は「退化」であることに納得し、ニュウドウカジカ(ブロブフィッシュ)の生き方には舌を巻いた。
今回のベスト1は、何と言っても英国ナショナルシアターライブのカンバーバッチの『フランケンシュタイン』。寄付のための公開なのだがタダ見をしてしまった。その肉体表現にただただ圧倒。最低限の英語の解説つきだが、それで充分。怪物が言葉を獲得するシーン、MUSICだったが、泣きそうになった。
ベスト2は、元タカラジェンヌ280人超による「すみれの花咲く頃」のリモート大合唱。圧巻!胸が熱くなった。これが歌のもつパワーなんだ。
3ヵ月ぶりの東京フィルハーモニーの公演を昨年7月5日の『情熱大陸』で見た。半分以下の観客でフルオーケストラでもない『新世界より』。ブラボー!客席からはもちろんなかった。
これからの観劇のニューノーマル。ふと、歌舞伎座の醍醐味の掛け声を思い出した。「よっ、○○屋!」。これがないと、やはり寂しい。元をたどれば、四条河原の3密そのものから生まれた芸能だったのに。あの掛け声があってはじめて舞台が完成するのだ。あのホールは、舞台から客席に伝える音の拡がりだけでなく、客席から舞台に届ける歓声まで考えて音響空間を設計したと聞く。
以前に、ライブハウスでのタテノリが周りの建物を揺らす問題を解決する防振床のネーミングに携わったことがあった。ライブハウスの床を建物から切り離して浮かせて、その間に防振ユニットを配置することで、タテノリの振動を1/10程度に抑える技術だった。対症療法では解決できない現象に対して、原因をもとから断つ画期的な技術にエンジニアの意地と技術力をみた。結果、生まれた施設では不要不急のエンターテインメントが繰り広げられ、防振床のお陰で、思う存分跳ね回ることができる。こんな感じで、感染拡大を防止しながら大きな声で喝采を送れるようにしてくれる何かを、また誰かがつくってくれるのではないかと密かに期待している。
- 大槻 陽一
- 有限会社大槻陽一計画室 ワード・アーキテクト