ふるさとでSDGsの目標11を実践(したかな?)
父が死んで10年余り、気丈に一人でふるさと(実家と食べる分の野菜を育てる畑と先祖代々の墓)を守ってくれていた母が、腰を圧迫骨折したことで、突然、白旗を上げた。
帰省のたびに、介護が必要になったらとか、そろそろこの家(物もけっこう手つかずのまま、まあまあの広さをいいことに溜まっている)や畑のこと考えないといかんかな、墓をどうしようか等々、ちらっと脳裏をかすめることはあっても、まだいいかな、と意識して自分事として考えないよう見ないように先送りして「逃げて」いた。
心の準備なしにこういうことになると、けっこう焦るものだ。サ高住と老人ホームの違いさえ知らない状態(前者は国交省、後者が厚労省マター)で、約6か月、それこそ綱渡り状態であたふたと悪戦苦闘。結果は、運よくわが家のすぐ近くに予算に見合ったサ高住が見つかり、同じ都民・区民になった。
思い返せば、この経験は、大げさかもしれないが、わが家のBCP(正確にはファミリーだからFCPだろうが)と、SDGsの目標11を実践したと言えるかもしれない。また、社会学でホットなテーマになっている「社会課題の先取り」にもガチンコで直面。たとえば、空家問題や地域コミュニティでの人間関係論(孤立や檀家制度の旧弊など)などだ。以下、お手数ながら、SDGsを検索し、プリントアウトなりして、参照しつつ一読いただけると幸甚。(外務省:SDGsの概要及び達成に向けた日本の取組(PDF)1.2MB)
限界集落、消滅可能性都市、シャッター街に驚かなくなった自分がこわい
今回の「ふるさとじまい」は、国が数年前、大々的に音頭を取ったコンパクトシティが、結果「尻すぼみ」になっている理由を、当事者になったことで了解した経験でもあった。
国交省のホームページで、コンパクトシティのベースになっている「国土のグランドデザイン2050」(平成26年7月)と題した国土づくりの理念や考え方を知ることができる。平成25年10月から26年7月にかけ9回開催された有識者懇談会(メンバーを見て、ん?と首をかしげる人が何人かいる)のまとめがそれである。
そして現在、ホームページでは、令和を日付にした、コンパクトシティについての最新情報はリリースされていない。スマートシティに関してはいろいろとダイナミックな動きを感じられるのだが。もう時代遅れ?マジで!?
このところ地方百貨店の閉店のニュースをよく見る。2020年早々、山形県が全国初の「百貨店ゼロ県」になり、8月末には徳島県が国内2番手のそれになってしまった。
地方出身者のみなさんに聞きたい。そこのお中元・お歳暮を贈る、頂く。その包み紙や紙バッグがステータスになる。そんな地域のシンボル的老舗百貨店に、初めてのデートをしたとか家族の晴れのときにレストランに行ったといった思い出はないだろうか。
わたしの故郷は、京都府の北部にある人口3万ちょっとの典型的な中山間部の「消滅可能性都市」と言う呼称が現実味を帯びて感じられる自治体だ。SDGsで言えば、8,9,11,12を否が応でも「自分事」として考えざるをない事例が目に入ってくる。母が暮らした集落の地区は、限界集落の定義の「住民の半数以上が65歳以上」をとっくの昔にクリアしている。だから、項目の3も該当する。
No one will be left behind
これ訳せますよね。「誰ひとり取り残さない」。何のフレーズだろうか。SDGsの理念。かく言うわたしも、今回の経験をしたからこそ、身を入れて読み直す機会ができ、初めて自分の日常生活を通してSDGsを意識化するに至ったのだが、この理念を初めて知り、いつもなら理念とかの言葉にわりと冷淡な反応をするわたしが、なぜかじーん。
そう言えば26年がたった1.17、早や10年を迎える3.11がわれわれに突きつけてきた宿題、真剣に取り組んできたのだろうか。提出は必須のはずなのに、赤信号みんなで渡ればこわくないと、お得意の「みんなが」語法で人の噂も七十五日にしていたのではないだろうか。
SDGsは、このかけがえのない地球を、後世に優しく手渡すために、みんなが指切りげんまんしたグローバルの、ワールドワイドの「約束」だ。だから、誰ひとり取り残さないよう、17の宿題をそれぞれが出来る範囲で提出する。日々の暮らしからまず始めてみることだと思う。
これからが、本来のコンパクトシティを実現する正念場だ。
- 大槻 陽一
- 有限会社大槻陽一計画室 ワード・アーキテクト