2019.11.25

ConTECH.café

職人とロボット

外国人に「日本の技とこころ」を教えるということ

たまたま見たニュースの特集で知ったのだが、東京の三軒茶屋に「東京すし和食調理専門学校」という、名前の通りすしと和食に特化した専門学校がある。

ユネスコの無形文化遺産に登録され世界では大人気なのに、本家の日本では若者を中心に和食離れが進んでいるようで、和食店での後継者、人手不足が深刻化。事実、同校でも、生徒50人のうち20人が中国、韓国、台湾、モンゴルなどからの留学生だという。彼ら彼女らは2年間、他の調理学校の約2.5倍の1,035時間、和食だけをみっちり学ぶ。技だけでなく、茶道や和菓子など和食を支える文化やおもてなしの精神も学ぶ。

ちなみにわたしは、二十四節気を言えない。インタビューを受けていた留学生は、ちゃんと伝わる日本語をしゃべっていた。モンゴル出身の力士が流ちょうに日本語を話すように、切実な必要が日本語をここまでマスターさせたのだろう。

回転するお皿から大好物のしめさばにタコ、えんがわのを取り、舌鼓を打ちながら、そんなことを思い出していた。「ここにも、すしロボット、働いているのかな」とも思った。チェック時、枚数を数えてくれたのは、キムさんだった。

行きつけの近所のコンビニで、たまに紅しょうがをてんこ盛りにして豚丼並みが無性に食べたくなる牛丼屋さんで接客してくれるのは、外国人が多い。

「改正入国管理法」に魂が入ることを切に願いながら

建設現場も、外国人がもっとも多く働く職場の一つだろう。

ただ、深刻度を増す人手不足のなか、単純作業の受け皿としてだけ外国人労働者を頭数合わせ的に求めるのではなく、高齢化に伴う熟練工のリタイアの穴を埋めるべく熟練工からスキルとマインドをバトンタッチされた、近い将来「親方」と呼ばれるような外国人「職人」の育成が急務である段階にあることは確かだ。

しかし、この労働力不足は、外国人の受け入れで解消できる程度の生易しいものではない。ロボットである。ロボットとの共生なくして、建設現場はお先真っ暗だ。

当たり前だが…2015年の暮れ、野村総合研究所がオックスフォード大学と共同で作成したレポートが、わが国の多くの労働者たちを真っ青にした。「日本の労働人口の約49%が、技術的には人工知能やロボット等により代替できるようになる可能性が高い」と601種の職業ごとに、コンピューター技術による代替確率を試算した、と。

かく言うわたしも、コピーライター、コピーライターとつぶやきながら、必死に、一覧に目を通した。

余談だが、601種だけでも、ずいぶん職種ってあるんだなぁ~と感心したが、実際は厚生労働省編職業分類の2011年改訂版によると17,209種。1999年には28,275種もあった。ちなみに、Iまである大分類のJが建設・採掘の職業で913種ある

外国人か、ロボットかの二択ではなく、両者の「マリアージュ」を

ショッキングなタイトルにある、日本の労働人口の半分は、「必ずしも特別なスキルが求められない」かつ「システム化による自動処理で置き換えられる」職業に従事していることになる。

定型的で自動化=マニュアル化しやすいという、こうした職業の特性は、ロボットがもっとも得意とすることであり、そもそもロボットの誕生のきっかけには、まさにそのニーズへの高効率な充足にあったはずだ。しかし、49%には含まれない医者であっても、部分的には自動化される、あるいはした方がベターなケースがある。現に、IBMの「ワトソン」に期待されるミッションは、診断という部分、局面である。

外国人労働者との共生で、一番のハードルは、言葉の問題である。例えば、重機の操縦の教育。オペレーター資格を持つ通訳の配置、ないものねだりである。しかし、周りを見渡せば、「目で見てわかる」教育用ICT、VR・ARの進歩・充実は目を見張るものがある。

確かに卓越した職人の「神業」、いわゆるマニュアル化できない暗黙知、経験値は厳然と存在する。けれども、そうした非定型知のデジタル化の研究開発も脳科学とタッグを組んで秒進分歩で進んでいる。とにかく、現場で必要なのは、名人技ではない。たゆまぬ試行錯誤だ。今日の「あちゃー、やっちまった」は、必ず「やったぜ!」とガッツポーズになる。

大槻 陽一
有限会社大槻陽一計画室 ワード・アーキテクト