現在、用途を変えて活躍中!
博物館、美術館、図書館、水族館…これらは、昔何だったのでしょうか?
答えは、「小学校」。少子高齢化、近い将来の人口減、空き家問題、過疎化、地域コミュニティの崩壊、地方の衰退、消滅可能性都市…。いま日本が抱える社会問題を思いつくままに書き出すと、なぜかもっとすらすら書けそうな気がする。一方、これからの日本で楽しみなことを書こうとすると、ああああ、書けない。
iPS細胞の実用化、自動運転の本格運用、AIやロボットによる雑用代行…。こう書き連ねながら、基本アナログ人間のわたしは、まったくワクワクもドキドキもしない。なぜだろう?
帰省の際、ふたつの元小学校を訪れた。
一つは、京都国際マンガミュージアム。京都市と、日本で唯一マンガ学部をもつ京都精華大学が運営する。博物館法に基づく学芸員のいるれっきとした調査研究機関であり、来館者に開かれた「巨大なオープンマンガ喫茶」みたいなマンガ専門図書館。元は、なんと維新の翌年の明治2年に開校した京都市立 龍池小学校。
京都でも、ご多分に漏れず中心部のドーナツ化と少子化により、平成4年に近隣の小学校4校の統廃合が行われ「廃校」になる。それが平成18年に、日本初のマンガ博物館として生まれ変わったのだ。入ると、廊下はきしみ、タイル張りの階段も当時のまま。「手を加えない」ことのなんと素晴らしいことか。
芝生に寝そべってマンガを読む人(見るではなく、やっぱり読むものだと思う。小学生の頃、親にマンガばっかり見てないでと叱られたが、当時のわたしは、やっぱり真剣に読んでいた)。お気に入りの音楽を聴きながら、キャキャとおしゃべりしながら。みんな、自分が一番くつろげるポーズで読んでいる。こころから楽しそうに、嬉しそうに、幸せそうに。
やっぱり、学校という「器」には笑顔がよく似合う。
「第二の人生」のグッドサンプル、各地に続々
もう一つは、滋賀県にある木のぬくもりにあふれた甲良町立図書館。
昭和8年に町民総出で建てた総檜造りの旧甲良東小学校校舎。老朽化で取り壊しになりそうになった際、法隆寺の解体修理や薬師寺の金堂と西塔の再建を手掛けた宮大工の棟梁 西岡常一が、「もうこんな総檜で造ることは二度とできない。檜は300年は持つ。それをなくすのは文化的な損失だ」と、心情溢れる保存陳情書を率先して書き、住民たちの保存運動の強力な後ろ盾になってくれた。
平成11年、図書館として再出発。余生というよりも「老いてますます盛ん」な第二の人生ぶりだ。冬になると薪ストーブが焚かれ、あたりには檜ならではの何とも言えない香りが漂うらしい。なんだか、いいなぁ~。
「そこに人がいる。そこから元気な声がする。それだけで、ただただ嬉しい」
行こう行こうと思いながら今年も行けなかった第7回大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ。
かつて10万人いた人口が半分になった十日町市、1万人を切る津南町。日本有数の豪雪地帯だが、魚沼産コシヒカリの有数の産地でもある。その762万平方キロの土地を舞台にインスタレーションを中心にした3年に一度開かれる芸術祭だ。アートによる地域活性の先駆けであり、成功例であり、回を追うごとに来場者を増やしている。ちなみに、4つあるテーマの一つが「均質空間への疑義」。うーん、なかなか挑発的で鋭い。
仕方なく、公式ホームページを訪れた。第3回からやっている「鉢&田島征三・絵本と木の実美術館」。双子の兄、征彦とともに大好きな絵本作家だ。舞台は、400人いた住民が半分になった十日町市鉢集落の平成17年に廃校になった旧市立真田小学校。楽しそう。そこにいるだけで、子どもでなくてもウキウキするだろうなあ。ああ、行けばよかった。後悔は、やはり、先に立ってくれないものだ。
見出しのことばは、うろ覚えだが、NHKの「新日曜美術館」の取材インタビューで田島さんが、住民の声として紹介していたものだ。いいことばだ。地域のシンボルとして小学校という建物が地域にもたらす心理的機能を見事に語り尽くしている。
ボーっと眺めていたテレビで、室戸市の水族館に変身した元小学校のことを伝えていた。その名もズバリ、むろと廃校水族館。漁師の網にかかってしまったウミガメに、スタッフが釣ってきた魚が基本の50種類1,000匹。イルカにペンギン、マンタ、ジンベイザメといったアイドルはナッシング。でも、大人気だという。いいじゃないか。行ってみたい。
- 大槻 陽一
- 有限会社大槻陽一計画室 ワード・アーキテクト