熱しやすく冷めやすい。1億総ホニャラララ。大いに反省!
7年前の2011年3月11日を境に、東京の夜はいっきに暗くなった。
わたしの住む足立区では、拙宅は該当はしなかったが、計画停電があった。多分に気持ちも落ち込んでいたせいもあるが、駅でも街中も、いつもの帰り道も暗かった。誰もが、節電を心掛け、家の中でも必要なところだけ明かりをつけ、こまめに消灯していたように思う。けれども、それが習慣化したかというと、心苦しいがいつの間にか元に戻った。1週間後に広島に出張で行ったが、流川も、心持ち暗かった。全国的に自粛ムードで節電していたのだから実際以上に、心理的に「そう見えて」しまっていたのだろう。
宇宙から見る日本列島は全体的に明るい。特に東京など首都圏は異様に煌煌と明るく輝いている。3.11の時の日本列島は、東京は、どんな感じだったのだろうか。貧しいとされる国の首都は、ぼーっとほの暗い。そんな感じに、一時的にでも、東京は暗かったのだろうか。
いまはどうなのだろう。
「省エネしなくっちゃ」意識にジャストミート
矢野経済研究所の「2017年照明市場調査」によると、3.11を契機に、LED照明の需要が急激に拡大したらしい。
2009年、わずか5億円ほどだった市場が、2011年、いっきに200億円を突破したのだ。翌年の2012年も引き続き二桁成長で、2013年の普及率は23パーセントに。内閣府でも、2020年には100パーセントになると予想している。
LEDって何?そう問われるとうまく答えられないので、ちょっとお勉強。伊藤尚未さんという『子供の科学』で電子工作の記事を書かれているメディアアーティストの『ゼロから理解する世界一簡単なLEDのきほん』(誠文堂新光社2008年9月30日発行)とWikipediaに助けてもらう。
LEDは日本語で「発光ダイオード」。Light Emitting Diodeという半導体なのだ。ノーベル化学賞を中村修二さんが受賞して、だれもがLEDと普通に口にするようになった。白熱電球に比べて発光効率が高いため発熱量が少なく、消費電力は約10倍の差がある。寿命も長く、省電力・省エネにおいては、圧倒的に有利なのだ。
事実、身の回りで、LEDがもしなかったら、社会はここまで便利にはなっていないのかもしれない。レンジの表示や洗濯機のタイマーから、交差点の信号機、駅や列車の行先表示、はてはアミューズメント施設のアトラクションまで、空気のように日常化している。
話は、3.11に戻る。
個人的には、LED照明の購入が限られた電力を無駄遣いしないという、これからのエネルギーの方針に貢献するという大義名分を与えてくれたことは事実だ。東北で作った電気を何の疑問も持たず消費していたうしろめたさの免罪符にしたかったのだ。ゆえに我が家のオールLED化は割と早かった。
夜景という魅力。星空への憧憬
高度を徐々に下げ、羽田や成田に近づきつつある飛行機の中から見る夜景が好きだ。うっとりとする。宝石箱だ。
そして、到着。帰路を急ぐリムジンバスの車窓から見る夜景。なぜか、きらびやかなんだけど、なんか、目が疲れる。明るすぎるのだ。
ふと思う。リスボンにしろ、ブリュージュにしろ、ヨーロッパの街の夜は、旅人という非日常性での心理状態を差し引いても、人間的というか、優しい。東京に比べてずっと暗いが、陰気ではない。ほっこりと懐かしい気にさせてくれる。
これらの明かりも、今やその多くはLEDだ。今後ますます増えていくだろう。
明るさそのものに意味があった時代は通り過ぎ、明かりが持つ意味が大事になってくる。LEDに限らず、これからの技術は利用者の感じ方にまで踏み込まなければいけないのかも知れない。
省エネをきっかけとした技術の発展は、新たな意味作りへ
人間とは、「ないものねだり」するわがままな生きものである。これだけ科学技術の恩恵にあずかっておきながら、自然なもの、アナログなものに意味を見出したりする。ほんまに、めんどくさい困ったちゃんである。
いつも最新ITグッズをいち早く買ってドーダ!顔をする飲み友達が、ひさしぶりに行ったジャズ喫茶でしみじみと言った。「やっぱり、真空管のアンプだよねぇ」と。
よく見ると、その明かりもまたLED。最新技術とノスタルジーの美しき融合がそこにあった。
- 大槻 陽一
- 有限会社大槻陽一計画室 ワード・アーキテクト