AIスーツケースというデバイスをご存知でしょうか。視覚障がいのある方を先導して、行きたいところへ連れて行ってくれるロボットナビゲーションシステムです。文字どおり、スーツケースのようにハンドルがついており、利用者はそのハンドルを持っていればAIスーツケース自体が自走し、道案内をしてくれるという優れものです。視覚障がいのある方に行動の自由をもたらす、そんなデバイスの開発に奮闘する若き技術者に話を聞いてみました。
シミズ版AIスーツケースとは
AIスーツケースには、その前身として視覚障がい者支援につながる別のソリューション「音声ナビゲーションシステム」が存在します。それは日本IBMをはじめとする外部の企業との共同開発として進められましたが、そのプロジェクトには当時日本IBMに在籍し、現在はIBMフェローとして、また日本科学未来館の館長として活躍される浅川智恵子氏も参加されていました。
浅川氏は自身が全盲であり、その立場からプロジェクトに有益な示唆を与えてくれた存在でした。その浅川氏がアメリカのカーネギーメロン大学に移り、自身の夢として手がけたのがAIスーツケースの原型である「CaBot」です。
そして2019年、アメリカから帰国した浅川氏の呼びかけがきっかけとなって、清水建設が他社と設立した(社)次世代移動支援技術開発コンソーシアム(以下、コンソーシアム)が発足し、日本版AIスーツケースの開発がスタートすることになりました。浅川氏と清水建設とをつなぐ縁はAIスーツケース以前から始まっていたのです。
そして現在、日本版AIスーツケースには、コンソーシアムが中心となって開発し、デモ運用のフェーズにあるコンソーシアム版と、それを参考に清水建設が独自に開発を進めるシミズ版の2つがあります。シミズ版AIスーツケースは当社判断による部品の追加変更や実験的なアルゴリズム検討など、コンソーシアム版にすぐに投入することが難しいチャレンジングな技術を検証することを主たるターゲットに開発が進んでいます。
“泥臭い”開発が続くAIスーツケース
シミズ版AIスーツケースの開発を担当する木村は次のように話します。
「カーネギーメロン大学で開発されたAIスーツケースのオリジナルとなるCaBot と呼ばれるロボットを、故障時などのメンテナンス性などの観点から、日本国内で調達できる部品で組み上げられるようにしようというところからシミズ版の開発は始まりました。開発していく中で、ただのコピーを作るのではなく、自分たちでも触れるようにしようと考えながら開発を進めています。とにかく物に触って動かしてトライアル&エラーを繰り返す泥臭い手法で、当初想定されていたようなクールな開発とはほど遠いというのが実情です」(木村)
木村が言う“泥臭い手法”とは、モーターやバッテリー、タイヤの選定といった基本的なところから、各コンポーネントのインテグレーション、それらを制御するソフトウェアと、実に多くのことを同時並行で、なおかつ実際に手を動かしながら進めていく必要があったということを意味しています。
「たとえば点字ブロック程度の段差を超えるためにタイヤを変えるとなれば、その素材や大きさにはじまり、モーターのトルク、駆動輪の位置、バッテリーとの重量バランス、制御アルゴリズムなど、すべてを再検討しなければなりません。一事が万事その試行錯誤の繰り返しで、本当に時間を要します」と木村。
同じくロボティクスを担当する中西は次のように話します。
「ソフトウェアのチューニングについては、コンピューター上のシミュレーションで試走させて検証できますが、最終的にはロボットに実装して走らせてみなければなりません。今も週に2、3回は実走させ、その都度新たな課題が見つかるというその繰り返しです」(中西)
木村らが手がけるシミズ版AIスーツケースは現在のモデルがマイナーチェンジを含めて5バージョン目。約2年半ほどのあいだに急速に世代交代を重ね、進化してきたことが窺えます。
ロボット技術の進化の先にあるもの
最後に今後の展望やそれぞれに期待することについて聞いてみました。
「シミズ版の開発はコンソーシアムとの情報交換や連携をベースにAIスーツケース自体の完成度を上げることが大前提ですが、裏テーマとしてはロボット技術の継承があります。試作と改良を進めていく中で、建物内における自律走行ロボットの技術はどんどん蓄積しています。そうして得られたノウハウは社内勉強会などを通じて社内に展開していますし、そこから逆輸入した技術をAIスーツケースに活用しているものも少なくありません」(木村)
「このプロジェクトに関わったのは2021年の後半からですが、とてもよい経験ができていると思います。将来的には竣工後の建物内だけでなく、日々環境が変化するチャレンジングな環境である建築・土木の現場で役立つシステムやロボットを作りたいです」(中西)
近い将来、AIスーツケースで培われた技術がさらに発展・継承されることで、新たな形での視覚障がい者支援が具現化するでしょう。さらに、蓄積されたロボット技術は竣工後の建物における視覚障がい者案内の枠を超え、建設現場を自由自在に動き回るロボットへと続いていくに違いありません。