2021.12.13

建設的な未来(日本SF作家クラブ)

コラボレーション企画
建設的な未来

清水建設と日本SF作家クラブのコラボレーション企画「建設的な未来」は、これからの社会に起こりうる事柄に対する、よりよい未来の「建設」に向けて、私たちができるかも知れないこと、また、乗り越えた先にあるかも知れない世界をテーマにしたショートショートです。

第24話は揚羽 はなさんの『そらの隠れ家』です。お楽しみください。

第24話
そらの隠れ家
揚羽 はな

「そらの隠れ家」イメージイラスト

()()(はら)()(づき)の手が止まった。目の前のコンソールから、光の洪水が一瞬にして消えた。目が慣れるまで、数秒。真っ暗闇のコックピットとは裏腹に、前方の小窓を通して見える宇宙には、星座の形も追えないほどの無数の星があらわれた。

しんとした世界で漂いながら、ゆっくりと頭が状況に追い付いてくる。

──なんで止まっちゃうの?

第1回宇宙ヨット競技会の開催を1年後に控えて、研究室のソーラーセイル実証機を初めて動かしてみた矢先だった。少ない予算のほとんどはソーラーセイルの開発に使われ、ありあわせの部品で組み立てられたコックピットは、パイロット1人がやっとの広さ。眼前のタッチパネルを取り囲んで、にわか作りの計器が所狭しと並ぶ。その隙間に申し訳ばかりの小窓が、正面に1つ、上下左右に4つ。それでも、研究室の威信をかけた実証機だ。研究の傍ら、念には念を入れて、と寝食も忘れて整備してくれたメンバーの顔が目に浮かぶ。

静止軌道上の宇宙ステーションから出発して、すでに5時間が経った。予定飛行時間を2時間も超過している。思い返してみれば、最初から不具合があったのかもしれない。想定した速度が出ず、時間内に目標とした宙域まで到達できなかった。通信機から聞こえる仲間の声はしきりと帰還を勧めていたのに、パイロットとしての未熟さのせいと、無理をした。そうこうしているうちに、動力が失われた。一瞬だった。

携帯ライトをたよりに主電源を探して、再起動を試みる。何も起こらない。暗く沈黙するスクリーンは、なでても叩いても、一切の操作を受け付けない。通信機を握って大声を出した。返事はない。

頭上の小窓には、漆黒の宇宙にソーラーセイルがまばゆく輝く。ポリイミド樹脂にアルミを吹きつけた巨大なセイル。美月の乗る楕円形のコックピットを中心に、一辺140メートルの正方形に広がって、太陽光を受けて膨らみ、かすかにしかし確実に実証機を流している。

──やっと自由になったと思ったのに。

美月は伯母夫婦に育てられた。妹、つまり美月の母を事故で亡くした伯母は、度を越えて慎重になり、外出も一人ではさせてもらえなかった。箱の中に閉じ込めておけば、それで安心、とでもいうように。宇宙で建設に携わる父は、地球にはほとんど帰ってこない。

突然、警報が鳴った。心臓が飛び跳ね、早鐘を打つ。酸素分圧の低下が始まっている。

視線をさまよわせたその時。前方の小窓に、小さく点滅する緑と赤のランプが見えた。目を凝らすと、箱型の構造物が近づいてくる。全体が太陽光パネルに包まれただけの、武骨な外観。美月の乗るソーラーセイルに向けて、その構造物はまっすぐに進んでくる。

衝突警報システムが作動した。2つの警報が不協和音となって鳴り響く。このままでは、ぶつかる! 美月はぎゅっと目をつぶり、身をかがめた。

──美月ちゃんのママ、宇宙の事故で死んだんでしょ?

友だちの幼い無邪気な声が、いまさら頭に響く。

──パパはどうして助けてくれなかったの?

父はいつもいなかった。母の事故の時も。そのあとも。父は私を置いて、また宇宙に行ってしまった。

上目づかいで小窓を見る。衝突寸前の構造物が目の前に迫っていた。逃れるようにコンソールの下に潜り込む。かみしめた唇からは、血の味がした。

──もう、だめ!

身構えた身体に、こつん、と、かすかな衝撃。同時に、けたたましく鳴り響いていた警報が一つ減った。

美月は混乱した。衝突したのではない。ドッキングだ。実証機は相手方の誘導電波を捉えてドッキングする。得体のしれない構造物が、実証機を誘導したのか。

そして、聞き慣れた、かすかな金切り声のような音。

──ハッチが、開いた?

コックピットに隣接するドッキングポートのハッチには、中古の部品が使われている。それは事故機の、ともっぱらの噂だった。血の気が引いた。コンソールの下でさらに身を固くし、息をひそめて様子をうかがう。やがて、警報が鳴りやみ、機内に静寂が訪れた。

──酸素が、送り込まれた?

狭いコックピットから身を乗り出せばドッキングポートが見える。勇気を振り絞ってのぞき込んだ。狭い空間の奥に、もう1つハッチがある。恐る恐る手を伸ばすと、それはゆっくりと開き、その向こうに、宇宙空間にはかなり不釣り合いな重厚な造りのドアがあった。慎重に近づく。触れようとした瞬間、おもむろにドアが開いた。

──自動ドア!?

大きく開いたドアから、青く輝く地球の姿が目に飛び込んできた。まぶしさに思わず目を細めた。そこは長方形の空間で、正面には解放感あふれる大きな窓があった。

美月は1歩踏み込んだ。奥行き10メートル、幅5メートルほどはあるだろうか。美月の住むワンルームマンションより断然広い。中央に大人2人でやっと手が回せる大きさのガラスケースがそびえていた。中には植物が青々と茂っている。ガラスケースを回り込むと、トレーニングマシン、トイレ、そして食糧や飲料の備蓄棚が整然と並ぶ。途端にこみあげた猛烈な喉の渇きに抗えず、美月は備蓄棚から飲料水を取り上げた。

むさぼるように飲み干すと、長い息を吐いた。人の気配はない。とにかく助かった。ふらふらと美月は部屋の中を漂う。

──この構造物はいったいなんだろう。

疲れていて頭が働かない。ガラスケースをのぞき込んだ。植物の緑が無性に愛おしい。宇宙空間にいると、植物にも同じ生命を感じる。そんなことを言ったのは、父だっただろうか。今なら、わかるような気がする。

なにげなく目を向けたドアの隣に、レトロなデザインの電話機がかかっていた。ヨーロピアンスタイルのアンティークな受話器。子どものころ、博物館で見た。触ってみたかったのに、展示ケースが邪魔をした。今なら、とそっと手を伸ばす。指先にひんやりとした感触。

ジリリリリリッ!

ベル音が鳴った。優雅な外観に似合わない激しさに、思わず飛びのいた。反動で背中がガラスケースにあたって、跳ねかえる。その勢いのまま、受話器をつかんで耳にあてた。

「ハロー。スペースレスキュー!」

──は?

威勢のいい声にひるんで、思わず受話器を耳から離した。美月の手の中で、受話器から叫ぶ声が聞こえる。

「ちょっとー! そら小屋7号機、応答せよ。おーい!」

「は、はい! すみません。あの、無断で入り込んで・・・」

次第に小さくなる美月の声とは対照的に、がははは、と受話器の向こうで誰かが豪快に笑った。

「どうや、その小屋は? 住み心地よさそやろ? すぐ迎えに行くから、ちょっと待っといて。壁にかかってる『個室』の中に寝袋があるから、少し寝とき」

一方的に話して、あっという間に切れた。美月は受話器を握ったまま、固まっていた。ガラスケースの向かいの壁に、幅の広いアコーディオンカーテンがある。違う。きちんとたたまれた5個の『個室』だ。帆布のような手触りの『個室』は手をかけると難なく開き、大人1人が手足を余裕で伸ばせる程度の、いわゆる電話ボックスサイズに拡張した。中には一方を壁に固定した寝袋が。ファスナーを開けて入り込めば、美月を優しく包む。

思った以上に疲れていた。触れる寝袋の内側は滑らかで、人肌のぬくもりがある。耳をすませば、とくとく、とくとく・・・。規則正しく、柔らかい音が聞こえる。なんだろう、このなつかしい感じ。美月は膝を抱えて、目を閉じた。

──お父さんは月でウサギと穴を掘っているんだ。

ふと、父の声がよみがえった。久しぶりに帰った父が、月を見上げながら美月に語った言葉。小さなころだ。美月が友だちに話すと、みんなにばかにされた。帰って涙声で母に話せば、「お友だちにはウサギがお餅をついているように見えるのね」と心地よい声が答え、その後ろにはにこやかな顔をした父がいた。

母に抱かれて、その隣で父が笑っている。長い間忘れていた幸せな時間。どうして今頃思い出すかな。でも、いつまでも、このままずっと・・・。美月は眠りの海に緩やかに漕ぎ出した。